「何しにきたの」
たっぷり十秒睨みあった末にようやく彼が発した言葉はこれだった。開口一番ひどいなあ。私は座る場所を確保しようと割れたガラスだらけの床をさっと払い、この重い空気を一気に転換させるべく、待たせたな、と快活に言ってみたところ思いっきりしばかれた。いって!!!

「ひどいですよ、いきなり引っぱたくなんて…それも満身の力で…」
「バカが嫌いなんだ」
いつになく私に冷たく言い放つと、彼は不機嫌であることを見せ付けるように腕を組んでそっぽを向いた。おお、なかなかに怒っている。そうさせた張本人のくせしてどこか他人事のようにそれを眺めると、私はとってつけたように後から湧いてきた罪悪感に一応しょんぼりした。この人は普通の人よりも四六時中なにかにプリプリしている方なので、口を堅く引き結んだこの顔はすっかり見慣れていて、決して口には出さないけれども今やそれほど怖くない。しかし傍にいる時間が長くなってきたからなのか、普段のそれとは違うほど彼の機嫌を損ねたことに私は気づいてしまった。
放棄されてどれほどの月日が経つのか知れない黒曜ランドというこの廃墟は、至る所に瓦礫の山が築かれて空気はやけに埃っぽい。先ほどから喉がちくちく痛む。のどぬーるスプレー持ってくればよかった。無意識に出た私の独り言に、彼はようやく開口して「塗るの?スプレーなの?」と呟いてからまたすぐに口を噤んだ。なんでそこだけ反応したの?と思ったが一旦流して、彼の傍へ進み出た。
「マキロンならありますよ」
「それは喉用じゃないけど」
知っとるわいこの天然め。雲雀さんの消毒です、と答えるとふいにそこにあった全ての音が止まった。彼は面食らってから、私と視線がかち合うと諌めるように目を細めた。
「もう一度言ってあげるよ。何、しに、きたの?」
「ごめんなさい」
「答えになってないよ」
私はマキロンを取り出した。雲雀さんは何も言わない。更に包帯を手に取る。使い方は知らないがまあ巻けばなんとかなるだろうと希望的観測を持つことにして怪我をした腕に触れると思い切り振り払われてしまった。ここまで塩対応だとちょっぴり傷つく。というより宙ぶらりんの手が恥ずかしくなって、コンクリを這っていたアリに意味もなくマキロンを吹きかける。風に乗って鼻先を血の匂いが掠めたが、倒れている人が多過ぎて誰のものだかわかりゃしない。割れた窓から枝がのぞく。湿った風が吹いて、手入れされずに荒れ放題の木々はざわざわと煩い音を立てて揺れた。
「他にも家にあるものたくさん持ってきたんです。モリとか、バットとか、ゴキジェットとか」
「なんでそんなもの」
「私、けんかしたことなくて」
語尾を濁す私に、雲雀さんはひとしきり呆れた後で鋭く一言、必要ないよ、と言った。
どこか遠くのほうで爆発音があがった。ここにいるのはみんな中学生のはずなのに、どうしてドンパチやっているのだろう。平凡な女子学生である私には知る由もない。だけどお互いが本気であることは分かる。取り澄ましているけど雲雀さんは見たこともないような大けがをしている。こんなにひどいだなんて思いもしなかった。
「必要ないのに」
ほとんど独り言のようなものだった。ごくごく静かに、雲雀さんは繰り返した。また一つ爆音が聞こえ、私たちのいるフロアに振動が走る。決して目を合わせてくれないけど、彼はいつものように立ち去ろうともしない。ただただ浅い呼吸を繰り返して傷を抑えている。気位が高い人だから自分が手負ったことだけじゃなく、並盛の名に傷をつけられたことも耐えがたいのだと思う。見ていて自分のことのように苦しい。
「ごめんなさい。雲雀さんの言う通り、わたしバカだし足遅いしきっとケンカも弱いし、けど居てもたってもいられなくて」
「そういうことじゃない」
返すと雲雀さんはこの愚図、と罵倒を投げつけてどこからそんな力がというほど強く私の腕をぎゅっと掴んだ。鈍痛が走ってぐあ、と声が漏れる。
「僕のことなんて気にかけてる場合じゃないだろ」
「べ、別になんとも、ぐ、痛い!」
「ほらね」
今必要以上に強く握らんかった?雲雀さんはぱっと手を離し、包帯を巻くなら君からだと言って眉を寄せた。
「君は戦う必要ない。バカなりに僕のこと考えてる十分の一くらい自分を省みなよ。見てるこっちが…」
私は目を疑った。雲雀さんの目にほんの一瞬、悲しげな色が浮かんだ。
「…なんでもない」
返す言葉もないとはまさにこのことだ。自分の思っていたことを先に言われてしまって、ずきずきと痛む左腕を抱えて、バカ一匹ここにありという感じで私はしばらく下を向いていたが爆音が急に止んでやっとのこと、2人でここを出ましょう、と言うことができた。
「病院で並んで包帯を巻いてもらいましょう、きっと私より上手な人が手当てしてくれるから」
だから、一緒に並盛へ帰りましょう。
いいよと答えて雲雀さんは微笑する。それから、僕は痛くないけどねと付け加えて手を貸してくれた。この負けず嫌い。

大丈夫