ハンター試験、思ってたんと違う。蹴落とされた谷底から抜けるような青空を仰ぎ、シンプルにそんな感想が浮かんだ。逆光で濃い翳を成したおっさん達のしたり顔が頭から離れない。
「思ってたんと違う……」
 違いすぎて声にも出た。でも今や私に呆然か唖然以外の選択肢などない。あとは残り時間一杯ここに坐し、岩肌で尻を痛めているくらいか。壁面に起伏はなく復帰は望めない。なぜなのか…という文字が頭をよぎる。
 実のところ、初めから雲行きは怪しかった。気の合う仲間との出会いなんかも期待していたのに、蓋を開けたら殺気立ったおっさんしかいなかったのだ。牛丼屋かと思った。いや、一応殺気立ってもおっさんでもない受験生もいるにはいた。
 けど、
「ここ狭いね♣」
「そりゃそうだよ」
 見ての通りだよ。バスタブ程の広さもない岩の隙間で、彼は筋肉質な長身を窮屈そうに折り曲げて膝を抱えている。
「あの、あなた……」
「ヒソカだよ」
「今知った……。じゃあヒソカ」
「なんだい」
「なんでここ降りてきたの?」
 降りてくる?普通?ほんの十秒ほど前のことだった。目があった次の瞬間、何にも言わずに地の底に落っこちてきたのだ。こわすぎる。ヒソカは細い眉をちょっと上げて、それからニコッとオノマトペがつきそうなほどの笑みを浮かべて、
「キミがあんまり切実な顔をしてるから、近くで眺めたくって」
 と言った。
 変人だ!わけが分からなくて面食らっていると、ヒソカは尚更ご満悦そうに笑う。今ので切実度が増したらしい。しょぼくれてその場に座ると、二人横並び、息苦しい沈黙に背中を丸める。なぜ…とまた思ったものの、答えは出ていた。畳んだ右足がそれはもう痛い。折れているのだ。おかげで草陰から繰り出されたおっさん達の襲撃をかわせず、谷底に真っ逆さま。
「痛そうだねェ」
 ヒソカはどうでもよさそうなトーンで、同情的なことを述べた。
「そもそもあなたに昨日飛行船で追っかけ回されたせいで折れたのですが……」
「厨房に飛び込んで勝手に冷蔵庫のスキマに挟まったのはキミだろ♦」
「自発的には挟まりません!」
 ある意味今も挟まってるし。やっぱりヒソカはどうでもよさそうにしている。再び空を見上げると、ここへ落ちてきたときとは太陽の位置が変わっていた。でも何もできることはない。じわじわと不合格の実感が湧いてきて、うぐぅと声にならない呻きが漏れた。非常識なハプニングに気を取られていたが、私はハンターになれないんだ、という事実がけっこう堪える。
「そんなにショックだったんだ?」
「めちゃくちゃショックだよ」
「残念だね♠」
 返すとヒソカもおんなじように上を見る。他人事みたいな口ぶりは別に私を煽るためでもなさそうだ。飄々とした面持ちに、合格への執着は感じられない。この試験には、まるで道すがら顔でも出したかのようだった。だからウソみたいな軽い理由で投げ出せるんだろうか。風が吹いて入道雲が流れ、林のざわめきが聴こえる。今は何時なのだろう。試験が終わるまで、あとどのくらいだろう。
 しばらくお互いに何も言わない時間が続いてから、ヒソカが口を開いた。
「聞いていいかい?」
「なにを?」
「どうしてハンターになりたいのか♦」
 ええ……。前言撤回だ。絶対この人私を煽ってる。不合格の沙汰を待つだけの人間にそれを問うの、なんらかのハラスメントなのではないか。
「今聞くそれ?」
「おしゃべり以外にやることがあるなら教えて欲しいね」
「ぐぬぬ…」
 生まれてこの方、かつてないほどにやり込められている。どうせどうでもよさそうに聞くんでしょ、と思ったらヒソカは切長の目でじっとこちらを見つめ、私が答えるのを待っていた。
 変人だ。
「ハンターになったら………」
「?」
「世界のどこへでも行けそうでしょ。私今までずっと山奥の村から出たことなかったんだ。だから憧れてた。知らない街にも、まだ会ったことのない人にも」
「山奥ね…なるほど、色々合点がいくよ♣」
「あれ?世間知らずって言ってる?」
「言ってない♠」
「………」
「………」
「………自分の人生に与えられた、限界の場所までたどり着けたらきっとおもしろいよ」
 ヒソカはふっと視線を逸らして片膝を崩すと、なるほどねとまた呟いた。はじめに張り付いていた、ことさら作為的な笑顔は消え、ただ薄いヴェールのような希薄な相貌に、かすかな微笑みが浮かんでいた。
「ヒソカはさ」
「うん?」
「どうしてハンターになりたいの」
「プロハンターの特権は便利だろう?少々の殺人なら目を瞑ってもらえるしね」
 聞かなかったことにしよう。逃げ場のない閉所でもっとも求めていない返答に身を縮めると、彼はくくくと喉を鳴らす。
「大きい括りではキミと同じだね」
「どこが?!!」
 私の話聞いてたこの人?!思わず身を乗り出すと、ヒソカは三日月のようにすうっと目を細めた。
 ひんやりと停滞した岩底の空気がにわかに変わる。
「好奇心さ。それ以外の全ては対価だ」
 言い終わるが早いか彼は呆けている私を引き起こし、軽々と小脇に抱えた。突然のことに体が固まる。でも為されれるがままなのに、不思議とこわくはなかった。
「こ、え、なに、」
「飽きたから戻る♦」
「も……戻るって、でも、登るのはムリじゃ」
 ヒソカは慌てる私の口に人差し指を押し当て、

「奇術師に不可能はないの」

 瞬間、
 引き上げられるように体が宙に浮いた。胸を押し潰す谷底から、一気に新鮮な酸素で肺が満たされる。陽の光の元に高く高く投げ出されて、上も下もわからぬまま目の端で捉えたヒソカはただただ楽しそうに、なかなかイイ答えだった、と言った。気がした。















 次の試験会場へ向かう飛行船は、穏やかに航路をゆく。いい匂いの立ち込める食堂を出て、射した陽で薄橙に染まる廊下を歩いていると、突き当たりにぽつんと腰掛けている人影を見つけた。
「ヒソカ」
 トランプタワーの天辺をまさに作ろうとしていた両手がぱたと止まる。ヒソカはキミか、と呟くと私の腰ほどまで積み上がったタワーをちっとも惜しくなさそうに崩した。こわい。
だよ、名前」
「今知った♣」
 散らばったトランプを避けてヒソカの傍らに座る。この男がこわいのか、さして大きくもない飛行船なのに周りには不自然なほど人気がない。そりゃそうだ。両手に持ったドーナツの片方をつとめて自然に差し出してみたら、ヒソカは怪訝な顔をした。
「これ、いる?」
「いらない♦」
「あ、そうですか……」
 じゃあまあいいけどさ。二日目が終わろうとしているためか、昨日と打って変わって船内の居心地は悪くない。先の試験で受験生は開始時の半分ほどになっていた。私は同じ味のドーナツを交互に食べながら、並んでヒソカとおんなじ方を向いている。
「さっきのことなんだけど……」
「ん」
「私の足折ったこと悪いと思ってる?」
「?キミの動きが鈍いのはキミのせいだろ?」
「………」
 やり込められにきてしまった。ぐうの音も出ないでいると、ヒソカはカードを一枚拾い上げて、くるくると指先で弄ぶ。
「これはボクの持論だけど、まともじゃない人間がハンターになった方が好ましいと思ってね」
「………それ私のこと?」
のこと♠」
 誰が言ってんの?!と言い募ろうとしたら「右手のドーナツ落ちたよ♠」とすかさず指をさされ、タイミングを失ってしまった。
 割れて転がったドーナツのかけらを口惜しい気持ちで拾い上げながら、一度は取りこぼした世界が明日もまた続いていくのだと、ふと足元がたしかに感じられた。西日で茹だる廊下に、影は長く伸びる。ハンター試験、思ってたんと違ったな。ずっと違った。
「ねえ、ヒソカ」
「何だい」
「…………私たち、ハンターになろうね」
「……………………そうだね♦」

 もしかしてこれは、私がかつて未知の地に望んだ、"まだ会ったことがない人"だったのだろうか。変人だけど、もしかしたらハンターとしてはじめての友達。
 それからすぐ翌日の試験で、ヒソカは試験官を半殺しにしてあっさりと不合格になった。おい。



天上は晴れ


220708