「えー・・、また?」
「我が輩もう我慢ができないのだ」

姿を現すなり私の手を取ったネウロはいつもの言葉を発した。私は学校から帰ってきたばかりで丁度自室の机の上に鞄を放り投げた所だった。息すらついていないのに。彼はいつだって私の事情なんてお構いなしだ。

「今何時だと思ってるの?まだ昼の2時だよ」
「時間など関係ないだろう」
「日本にはね、まだ日も高い内から・・って言葉があるの」
「情動に昼も夜もない」

言い切りやがった。夜ならいいってわけでもないけど。絡みつくような視線から逃れようと、私は窓の外を見やる。ネウロは相変わらず重力を無視して人んちの天井に土足で佇んでいたが、私のつれない様子に痺れを切らしたのかゆっくりと降りてきた。彼はそうしてじりじりと距離を詰めると私を壁際まで追いつめ、さっとカーテンを閉めてしまった。
部屋が俄かに薄暗くなり、心臓が大きく跳ねる。動揺を覚られまいと口を固く結んだ。私の心境を知ってか知らずか、ネウロは長い腕を壁について逃げ場を奪うと、艶っぽく含みのある目で私を見下ろした。これはまずい。


ただ名前を呼ばれただけで背筋が震えあがった。心臓の裏側を舐め上げられるような感覚。
「な、なに」
ネウロの薄い唇が弧を描く。低い囁きが私の耳を打つ。

「分かっている癖に」

これが昔の私ならクラッと参ってしまっていただろうが、今は違う。こんな真昼間からこの空気に流されちゃいけない。

「・・・っ、やだ」
渾身の力でようやくそれだけ絞り出すと、私は行く手を阻む彼の右腕の下を素早く潜り抜けた。
そのまま転がるようにして前のめりにドアへと駈け出す・・・が、私の闘争劇は僅か2秒にして幕を閉じた。身をかがめて前へ踏み出した瞬間、左足が進行方向左手にあったベッドの淵に引っ掛かったのだ。つくづく鈍臭い。
「わっ、ちょ」
よろめく私の体は背中へ差し出された手によってふわりと支えられた。そしてその手は優しく私をベッドの上へと導く。背中からベッドに沈んだ私は仰向けになって天井を見つめる。

「・・・ネウロ、」
「拒むならば力づくしかあるまい」
ネウロは薄く笑うと、乱れたシーツに投げ出された私の左手首を、黒い手袋をしたまま掴んだ。彼はもう片方の手で私の髪を撫で、指をゆっくりと首の方へ伝わせる。ひんやりとした擽ったさが喉元を撫ぜた。彼が覆い被さった事で二人分の体重が掛かったベッドが軋んだ。彼の肩越しに見たカーテンの隙間から秋晴れの陽光が差し込む。
まだこんな時間。テストで早く帰宅したが、親は当分帰らない。私は抵抗を諦めて息を吐いた。

「・・・私の体の負担なんて考えてくれないんだから」

「なぜ我が輩がそんな事に気を回さねばならんのだ」
「こうも毎日毎日ネウロが強引なせいで、足腰立たなくなったらどーしてくれるのよ」
「黙れ。の分際で小生意気を言うのはどの口だ、塞ぐぞ」
「分かったってば、もう」
私はネウロの目を覗き込んで降参の意を示した。魔人の瞳は底が知れなくて怖いから見つめ合うのは苦手だ。でも力づくでされるよりはずっといい。


「いいよ、行くよ。事件現場」

ご満悦な表情を浮かべたネウロは私の喉元に突き付けていた禍々しい凶器を変形させ、手の内に戻した。彼がベッドから身を起こすと、またスプリングが軋む。・・・危うく訳の分からない魔界道具で気道ごと口を塞がれる所だった。

結局いつもなし崩しなんだよなあ、とうらみごとを口にはせずに私も続いて起き上がり、部屋を後にする。

また真っ昼間から他殺体を見なくちゃいけない。



甘い生活


20120320