見上げると空はもう夏の色をしていた。
 職を失いやけくそで流れついた海沿いの小さな町は、ささやかな休暇を楽しむ人々の活気に満ちている。私の待ち人は、三時間に一本しかない列車でここへやって来る。
 友達の知り合いの親戚の同級生とかいう全然知らん人がなんでも気鋭のベンチャー経営者で、ちょうど働き手を募集しているのだという。彼は偶然ここらでバカンスの予定があるらしく、私を心配した友達が取り成してくれたのだ。気持ちはありがたいが問題は前情報の少なさだ。顔が怖いという以外わからんらしい。なんなんだよ。緊張で吐きそうなせいでグレープフルーツジュースを二回もお代わりしてしまった。
 腕時計が約束の時刻を指したとき、彼は現れた。
「よォ」
 コンマ一秒で約束の相手だと分かった。顔メッッッチャ怖い。小動物くらいなら睨み殺せそうな眼光をした男がジャージのポケットに両手を突っ込んでそこに立っていた。ジャージて。ベンチャーとはいえそれはアリなのか。気鋭すぎではないか。いきなりかまされてビビる私に、紹介ってのはてめえかと傲岸な物言いをするなり男は向かいの椅子を引く。顔以外もこええ。
 とはいえ手ぶらで帰るわけにもいかない。紹介とはいえこれは面接だ。仕切り直しで自分史上ベストの嘘笑いを貼り付ける。
「どうもはじめまして… です」
「なんだそりゃ。お前の本名か?」
 本名以外になんなんだよ。うっかり微笑みが引っ込んだが、男は意に介する様子もなく店員にジンジャーエールをオーダーしてからこちらへ向き直る。
「オレはコブラとしか聞いてねえけど」
「コブラ!?!」
 友人は私のことを影でなんて呼んでんだ。十年来の友情を脅かすあだ名に愕然としていると、男は「フィンクスだ。よろしくなコブラ」と空気を読まずに自己紹介した。その名で呼ぶんじゃねえ!
「みんなって呼ぶんでそれは忘れてください」
「まーオレはどっちでもいいけどよ」
 っつうかあちいなオイとぼやき、フィンクスは置かれたジンジャーエールに手をつけた。昼時の店内は地元民と観光客で徐々に賑わい始めている。すぐ表の通りを、サングラスをかけてカラフルな浮き輪を持った家族連れが歩いていく。
 たしかに今日はひときわ暑い。いい天気だなあ。
「忙しいのに時間作ってもらっちゃって、ありがとうございます」
「頼んでんのはこっちだからな。こんなひ弱そうなヤツだとは思わなかったが」
 どんな紹介を受けていたのだろう。私も顔が怖いということしか知らなかったのだから、相手は相手で想像と違って困惑しているのかもしれない。返答に窮し、あんまり肉体派じゃないんでと言葉を濁すとフィンクスが気にすんなとばかりにひらりと手を振った。
「鉄砲玉以外は会ってみると見た目はこんなモンだ」
「てっ、」
 不穏な言葉に椅子ごとひっくり返りそうになった。膝が当たってテーブルが揺れ、フィンクスが二人分のグラスをさっと持ち上げる。今言ったよねなんか。おかしいな。ベンチャーっていうかマかヤのつく団体なのではないか。そして経営者というかドンなのではないか。心臓が氷のように冷えてくる。
「オイあっぶねーな」
「あのう…」
「ああ?」
「(怖…)一応聞いておきたいんですけど、ワタシ、仕事、もらう、あなた、仕事、渡す?」
「なんで片言なんだよ…そういう約束だろ」
「そうですか…」
 気を落ち着けるために本日三杯目のグレフルジュースをズイと半分ほど飲み下したが、あまり味がしなかった。怖すぎて五感がひとつやられてしまった。いけない、動揺してしまった。こんな白昼堂々ドンが私のような者と向かい合っているはずがない。ありえない妄想だ。
「私でつとまりそうですか?」
「ん?当たり前だろ。あとは報酬をまとめるだけじゃねーのか?」
「あれ?そーでしたっけ」
 あっけらかんと言うフィンクスに、するりと緊張が解けた。どうやら知らん間に職を得ていたらしい。てめえはメールを読んどけよともっともなことを言いながらフィンクスは携帯を操作している。
「こっちの予算もあんだから吹っかけんなよ」
「いや、私あんまり欲ないんで大丈夫です」
「ホントかよ。じゃ一億でどうだ」
「えっ」
「は?」
「えっ?やっぱりドンじゃん…」
「ドンって何だよ」
 ドンじゃん!首領と書いて!あんただよ!!ガクブル震えて距離を取る私にフィンクスがハァ??という視線を投げつけたとき、彼の手元の携帯が張り詰めた空気を劈くように鳴り響いた。
 束の間睨み合い、フィンクスがもしもし、と電話を取る。
「オレだ。…今か?約束の女と会ってる。ああ。……そうだ。交渉途中だけどよ、なんか訳のわかんねえことを………ハァ?オイ、シャル何つった………本物が死んでる?じゃオレを呼び出したヤツは…、ああ。ならコイツは?人違い?ざっけんなここまで来るのに何時間掛かったと思って」
 その刹那だった。
 ガァン、と重たい音が外から聞こえ、表のテラス席で誰かの悲鳴が轟いた。それが銃声だと気付いたのはフィンクスが電話を切り終えたくらいのタイミングだった。目が合ったフィンクスが悪ぃなと肩を竦める。
「どうやら人違いだ。つかあっちも多分人違いだな、オレの代わりに撃たれて気の毒なこった」
「ど、どういうことですか」
「面倒だから離れた方がいいぞ。オレもたった今用がなくなった、クソ。何がブラックリストハンターだ」
 悪態をつきながらポケットを漁ると、彼は丸まった札を一枚テーブルに置いた。大股に歩き去るフィンクスに続いてパニック状態の店を出ると、振り返った人混みの向こうにめちゃくちゃ怖い顔の人が腹から血を流して倒れているのが見えた。瞬間、稲妻が走ったように点と点が繋がる。彼こそが私の待ち人だ。嘘だといってくれ。ベンチャーの人!!心中叫びを上げたとき、今度は私の携帯がカバンの中で震える。
 見ると友達からのメールだった。画面には「ごめん、そいつ会っちゃダメ!!出資詐欺らしいよ!」の文字が白々しく踊る。
 ………。ええ?
 もはやベンチャーの人でもなんでもないただの悪党が撃たれただけらしいが、なんにしても私の再就職の途が断たれたことには違いなかった。野次馬を掻き分けて進んでいたフィンクスが、広い道に出たところで突如振り返った。
「つーかいつまで付いてくんだてめーはよ!」
「ウッ…うう…私のベンチャー……」
「辛気くせーツラしてんじゃねーよ。たまにはこーいう日もあんだろ」
 雇い主が現れたかと思ったら人違いで、といって本物もただの詐欺師で、詐欺師かと思ったら知らんサイコパスに腹吹っ飛ばされてる日なんかそうそうないだろ。フィンクスはあちーんだよクソ、と暑そうなジャージを着たまま天にキレていた。
「仕事がない位でぐだぐだ言うな。次探せ」
「だって…。前の会社も社長が変な骨董ばっかり集めてたせいで、幻影ナントカって有名な賞金首に襲われて」
「……骨董?………あ〜…」
「社長が飛んで会社もトんで、やけくそでこんな遠い町まで来て心を癒してたのに」
「へえ」
「あの日、あの日に盗賊さえ入らなければ………」
「……」
 店が面した通りの方からサイレンが聞こえた。フィンクスはなんでこんなド田舎くんだりまで、と無駄足を踏んだことにまだ悪態をついている。私の額を汗が伝った。落ち込んでいても汗はかく。
「お前はこのあとどうするよ」
「そうですねえ、日が暮れるまで海でも眺めようかなあ」
 私の返答にちょっと引いた感じの沈黙ののち、フィンクスが切り出した。
「おいコブラ」
 だからコブラと呼ぶな。それマジの別人だっただろ。
「腹減ってるか」
 ………。
 顔を上げた私は、フィンクスの向こうに真っ青な空と大きな入道雲を見た。ぬるい風が吹いて民家の軒先に吊るされたオレンジが揺れている。
 確かにあっちいなあ。お昼だから。そう考えて朝から何も食べていないことに気づく。お腹、減ってます。ぼそりと呟くとフィンクスがそーかよとぶっきらぼうに応じた。
「まあ、なんだ。ピザでも食い行くか。奢ってやるよ」
「マジですか」
 マジだよ、クソッと自分で提案したくせしてすこぶる嫌そうにフィンクスは踵を返す。一方で私の体は素直なもので途端にどこからかトマトのいい匂いが漂ってきている気がした。
 あのー、とフィンクスの背中に問いかける。
「なんだよ」
 答えるフィンクスの視線は、遠く入り江の岩陰で駆け回る子どもたちに向けられている。水飛沫がはじけ、彼らは転げるように笑い合う。海岸通の砂浜は白くきらきらと輝いている。私たちときたらこんなにも散々な有り様なのに、夏はそこら中に溢れていた。
「暑いんでビールも飲みたくなってきたなあ」
「調子に乗んな」

ショートバケーション



201109