不覚 そんなことだろうと思ったけど、約束の時間だってのにそこには誰もいなかった。やっぱりね。 ターミナル駅の人目につかない裏路地。廃業した喫茶店跡が待ち合わせ場所だった。まーそのうち来るでしょ。店先に放置されていた木の長椅子に座りぼんやりしていると、視界の端で小さなものが動いた。 猫だ。 物陰でじっとこちらを窺っている。都市部は餌に富んでいるのか、野良にしてはふっくらしていた。かわいいな。 「猫ー。おーい、こっちおいで。チッチッ」 さっきから目は合っているのに、猫は数メートル先で置物のように動こうとしなかった。何か細長い草でも振るかと辺りをみるが、街のど真ん中にそう都合のいい草は生えてない。くそ、都合のいい草を具現化したい。チッチチッチ言いながら立ったり座ったりして振るものを探していると、足元に大きな影が落ちた。 「何やってんだよ」 「猫がいる」 あそこ、と指差すとフィンクスはその先を目で追った。 「全然こねーな」 「さっきからずっとやってんだけどね」 「しばらく遠くから見てたけどよ、それはみじめな背中だったぞお前」 「なんで遠くから見てんのよ!」 反論をひょいと躱してフィンクスは私の左隣に腰掛けた。遅刻者のくせにやけに堂々としている。フィンクスは尚も猫を呼び寄せんとする私のことを組んだ足に頬杖ついて眺めていたが、数分と経たないうちにニヤニヤと笑い出す。 「なってねーなぁ。手本みせてやろうか」 「フィンクスが?顔怖いのに?」 「バカ、関係ねーよ」 そうしてフィンクスは細い口笛を鳴らし、指をくいと動かした。信じられないことに、あれほど頑として動かなかった猫が、糸に引かれるようにこちらへ歩いてくる。嘘でしょ!顔怖いのに!愕然とする私を横目に、フィンクスは猫の首根っこをつまみあげてあっという間に膝の上に収めてしまった。バカな。 「こんなもんだな」 「おかしい。なんで……」 「にじみ出る人間性ってやつだろ」 ぐぬぬ。どの口が言っているのか。一ミリも納得いかないが、発言者の膝で丸くなる猫を前に返す言葉もない。あまつさえ目を細めてごろごろ喉を鳴らしている。かわいい。そうっと手を伸ばしてみたが、触れる寸前でシャアッと牙を剥かれてしまった。なんで…。フィンクスが呆れ顔で逆立った毛を撫でてやる。 「マキお前、動物に嫌われるタイプだな。シャルと同じだ」 「ええっ?!めっちゃヤだそれ」 「来たら試してみるか?あいつ団員の中で一番ひでーから」 なあ猫、と相槌を促すとフィンクスはぶっきらぼうに小さい喉を撫で上げた。もうされるがままだ。さっきと態度が違いすぎる。腹落ちしない気持ちを抱え、私はフィンクスの空いてた方の手を取った。掌に触れてたしかめてみるけど大きいし硬いし、見たまんまだ。 「こーんなゴツい手のどこがいいのかなあ。殴るかぶっ飛ばすかしかできないじゃん」 「オイ聞き捨てならねーな」 「ええ?あと何よ。締め上げるとか?」 「お前のこと無視してた猫が呼べる」 ぐぬぬ、またしても。その間もフィンクスの左手は焦茶色の滑らかな毛並みの上を淀みなく動いている。 「言っとくけどな、俺は動物手懐けんのは相当うまいぞ」 「ふーん。動物って?なんでも?」 瞬間、無遠慮に触れていた手をぱしっと軽く払われた。 体温が離れた束の間、今度は上からぎゅっと包むように握られる。 「なんでも」 …。 隣に座っているものだから至近距離でモロに目が合ってしまった。バチッと音が出たかと錯覚するほど。呆けているとフィンクスは顔色ひとつ変えずに「な、」と言って手を離す。 「普通だろ」 ここから頭が正常に回り出すまでの時間が永遠に等しく感じられた。えーと。あ、そうか。殴るかぶっ飛ばす以外もできるってことか。わかっているのに言葉が出てこなかった。妙な間に耐えかねたように、猫が突然するりと掌の下から抜け出すとフィンクスの膝から飛び降りた。あっと思った瞬間、振り向きもせずに路地の向こうに消えてしまう。煙のようだった。 「いっちまったな」 「…そうだねえ」 「ま、これでわかったろ。俺のが扱いがうまいってことだ」 フィンクスが得意げな笑みを向けてきたが、喉は渇くし落ち着かないしで、今度はとても目を合わせられなかった。うーーん。わかったけどさあ。 210807 |