「どーーしてもやんなきゃダメ?」
 この質問七度目なんだけど。これにはさすがに穏健派を自負する私も心底うんざりした。ダメ、と返すとシャルナークは暗闇でもそうと分かるほど眉を顰める。
「最ッ悪だ」
「百回聞いたよ」
「オレ、人助け死ぬほど嫌いなんだけど」
 言ってる場合か。自分らの命が懸かってるっていうのに。ボロトラックに詰め込まれて一時間。給気の為僅かに開いた隙間から湿った土の匂い。腐りかけた床板と悪路のせいで揺れがひどく、ずっと尻が痛い。その気になれば容易く引き千切れる荒縄で後ろ手を縛られ、私たちは大人しく運ばれていく。行き先は当国最有力な人身売買組織の根城だ。
 国境に連なる切り立った山脈の果て。地図には載らぬ小村に眠る宝がクロロの目当てで、私の仕事は情報収集の先遣、シャルナークへの協力だ。あっさりと村を見つけたまではよかったが誤算が二つあった。辿り着いたその時、まさに村が人攫い共の襲撃下だったこと。そして騒ぎに乗じ土着神を祀る社に踏み入った瞬間に念が発動したこと。
 目当てのお宝に込められた死後の念だった。
 要は外敵から子孫を守るカウンター型の能力で、解除要件は“当代の長の血”の脅威を排除すること。でなけりゃこっちが死ぬ。人攫いじゃなく社へ侵入した私たちが標的らしい。
 攫われた村人を追って後発の集団に取っ捕まったきり、シャルナークはこの世の終わりみたいな顔で落ち込んでいた。慰めのつもりで旅団って慈善事業もやるんじゃないっけと記憶を手繰り寄せるが、あれはビジネスだからと返される。文句しか言わねえ。仕事の絡みもせいぜい一、二回。ろくに喋ったこともなかったがこの道程でハッキリした。気が合わん。天の神へ嘆きを捧げた時、急ブレーキで体が大きく揺さぶられた。

 煤臭い廃倉庫はうず高く積まれたコンテナで仕切られ、姿は見えないけれど大勢の人々が身を寄せている気配がした。子どもの啜り泣きがどこからか漏れ聞こえ、日焼けした若い男がマシンガンを手に怒鳴り上げた。地獄のような光景を意に介さず、シャルナークはだるそうに見張りの動きを目で追っている。
「敵は外も入れて六人か。銃をまともに扱えそうなのは二人だけ…商売ナメてるなー。どこがこの国一の犯罪組織なんだか」
「人手不足なんじゃないの、このご時世」
「オレはすぐ終わる方がありがたいけどさ。隙を見て一人ずつ消していくのでいいよね?」
「そうね。弾が流れると困るな…乱射される前に一撃で決めないと」
「え?」
 聞き返されて会話が止まる。
「いや、何。私おかしなこと言ったっけ」
「君まさか全員助ける気?」
 言外に正気かよというニュアンスを感じてムッとした。私のオーラがピリついたのを察してかシャルナークから愛想笑いが消える。
「"当代の長の血"が条件なら村長一家以外は無視できるんじゃない?オレそいつらの顔覚えてるし」
「わざわざ見捨てなくたっていいでしょ。後味が悪いもの」
「盗っ人の片棒担いでるのによく言うね」
「あんたんとこの団長は私に村を見つけろって頼んだの。殺しは依頼に入ってなかった」
「…善人面」
「冷血漢」
 薄汚い地べたに二人座って、互いにてんでバラバラに視線を投げた。最悪。クロロのあほ。なんで私らを組ませたんだ、と心中言い募りすぐにやめる。単に能力が目的に合致してたからだ。クソッ。倉庫の入り口の方を睨み付けるとこっちの気も知らないで見張りの男がパスタを巻き上げている。暢気に昼食とってんじゃないよ。商売をナメるな。
 外は太陽が一番高い時間になっていた。昼過ぎにでも国境を越えて迎えが来るだろう。あまり猶予はない。次見回りが来たらやろう、と声を潜めると彼も静かに首肯した。
「あとね、もー無理に助けようとしなくていいよ。私も好きにやるし」
「それがいいな、これ以上やりあってもどうせ平行線どころか嫌われるだけだしね」
「嫌いっていうか、敵に回したらサイアクって思うだけよ」
「それは光栄」
 褒めてないんだけど。シャルナークは後ろ手の拘束を事もなく引き千切り、続けて私の背後に回る。自分で抜けられるのにと思ったが言うタイミングを逃してしまった。
「君は…」
 殺しが嫌いなの?とシャルナークが問いかけた。後ろで聞こえたさっきより棘のない声に不意をつかれ、まあそれもあるけど、と意図しない言葉が口から滑り出す。
「派手なのがかっこいいんじゃん、旅団の仕事ってさ。だからどうせなら丸ごと助けたいんだよね」
 …。
 言ってから我に返った。ええ。うわ、何なの。素で話してしまった、この情なし人間に。「って前にネットで読んだんだけど」と付け足したが苦し紛れが否めない。解いた縄を足元に置いたシャルナークはしらっとした目でこちらを一瞥し、なんだよそれと力の抜けた声で呟いた。
「何それ、勝手な理想だなあ」
 押しつけてるわけじゃないからいいでしょ別に。ていうか忘れてくれ一字一句。今日はもうダメだ、調子悪い。失言を全力で悔いていたら、無理やり襟首を掴んで立たされた。「行くよ」シャルナークが後押すように私の肩を叩いたけど、これまでの流れからいうと逆だろと率直に思った。やっぱり気が合わない。

 それからケリがつくまで、ものの五分とかからなかった。身柄の回収に現れた残党の始末まで終えると、物陰で怯えていた人々が一斉に外へと駆け出していく。めでたく念も解除だ。燦々と輝く陽の下、先を歩くシャルナークがどーせあのボロトラックで戻らなきゃなあとぼやいた。私はただ黙ってついていく。
「ねー、この後だけど…うわっ」
 振り向いた彼は人の顔を見るなり吹き出した。藪から棒に失礼な。
「アハハ、君なんなの、露骨にオレのこと見直したみたいな顔してない?」
 とんだ言いがかりだ!と憤慨できなかったのはそれがただの煽りじゃなかったからだ。
 こちらには死人どころか怪我人さえ出なかった。あれほど不満を述べたくせに、事が始まれば場数が違うのかシャルナークの手際はとても鮮やかだったのだ。けど見直したは絶対言い過ぎ。私そんな顔してたか?
「してるよ、わかりやすく険が抜けちゃって…あーホントバッカだなあ…。説教くさくてイヤだって思ってたのに。そーいう風にすぐ顔に出る単純なヤツ、うちにも何人かいるんだよね」
 シャルナークはここへ来るときの沈鬱が嘘のように体を折ってけらけらと笑っている。そんなわけはないと言っても聞かなそうだ。なんだかな。納得いかないんだけど、あの終わった空気のまま二人で帰るよりはマシだろう。
 ぼうっとしていたら青い空にトラックから外された白い幌がぱっと舞った。荷台にぎゅうぎゅう詰めになった村人達が手を振っている。五つか六つの年頃の女の子が駆けてきて、きゃあきゃあ笑うとシャルナークに勢いよく飛びついた。ぎょっとしたが、なんと彼も嫌がるどころか片腕で高く抱き上げてやっている。善行にあてられておかしくなったんだろうか。傍らに幼子という冗談みたいな姿でシャルナークが振り返った。
「お礼に昼飯ご馳走してくれるってさ。どうする?」
 どうするっていうか、行くって選択肢があるわけ?戸惑う私をよそに女の子はぴょんと飛び降りると、また元来た方へ走っていった。私たちの身分を顧みるとド級に図々しいのはまあ百歩譲って置いておくとして、あんたキャラブレが甚だしくないか。無言の圧をうんうんと適当に流すと、シャルナークが誰も聞いちゃいないのに声のトーンを落とした。
、ちょっとおいで」
 なんだかイヤな予感がする。
 手招かれ耳を寄せると、彼は悪魔のようにそっと囁いた。
「せっかくだし村で金目のもの分捕って帰ろっか」
 瞬間、全身がぞわっと寒気立った。おいマジか。返す言葉もないまま呆然としていると、更に最悪のことに気がついた。さっき女の子を抱き上げた彼の掌から腕の先まで痛々しいほど蕁麻疹が広がっている。金色の前髪から冷え切った双眸が覗いていた。信じられない気持ちでシャルナークを仰ぎ見たら、売っ払って街でお茶でもしよーよ。とスイートな笑みを向けられたので私はドン引きした。


アシンメトリ



201108