「終わりだ。行くぞ」
 私の亡骸を一瞥して団長が告げた。いや、正確には亡骸であるかのような私を一瞥したのだ。だけど彼だけじゃなく誰ひとりとして生存に気づかない。それが私の念能力だった。
「団長、の死体は?」
 問いかけたのはシャルナークだろうか。
「ここへ置いていく。用はない」
 それで会話を終わらせるアイコンタクトがあった。のだと思う。見えはしないが肌で感じた。了解、と声がして気配が遠ざかり、薄暗い廃墟に私だけが取り残された。つらくも苦しくもないけどほんの少し後味が悪い。裏切り者とはこんな気分か。あのフェイタンの眉間にも薄く皺を刻む程度には、溶け込めていたということだ。その割にはあっさりと処分されたけど。
 真っ向からじゃ、殺されるに決まってんだよなあ。
 ぼやきたい意に反して唇は引き結ばれ、瞼は縫い付けられたように動かない。底冷えする暗闇で思考だけが鋭く駆け巡る。致命傷を受けたとき、一度だけ仮死状態で死を免れる。蛹のように目醒めを待つだけの骸。最期まで隠し通した切り札だった。
 (………旅団に)
 恨みはなかったんだけど。個人的には。
 ただ私の仲間は違う。生ある意義に旅団への復讐だけを望んでいたのだ。大事な人だったから、私は是非もなく手伝うことに決めた。仲間の念の発動に必要な情報を盗んで、無事に渡す役。うまくいってたのにな。トンズラ間際で団長に看破されてこの様だが、それもあらかじめ織り込んで、仲間が私の仮死を解くことになっている。
 今は待つだけだ。悟られてはいけないから慎重に、時間を掛けなければ。ただ待って、待って――…
――待って、
――ひたすら待って。
――…。
――………………。
――……………………………。
 どれくらい時が経ったんだろう。
 瞼の向こうの世界では日が長くなってきたように思える。変わらず仮死はひとりでに解ける様子もない。十分に傷が癒えていないのだ。そうして死骸として春を迎えた私の前に、その時は突然訪れた。
 誰かが、
 私のそばに立っている。
 涼しげな声で、と私を呼ぶ。聴覚が衰えてよく聞こえない。まず初めに、迎えが遅いよと思った。鼓動を止めて久しい胸の奥の方が締め付けられたように感じて、ああ私は心細かったんだとはじめて自覚した。文句のひとつでも言ってやろう。でも無事に合流できた以上、あとは情報を渡して目的を果たすだけだ。その時がきた。
 顔の上に影が落ちて唇にあたたかなものが触れた。揺り動かすような衝撃で自分以外のオーラが入って、瞬間、身体中の血潮がどっと堰を切ったように流れ始めた。夢から醒めるようにぱっと目が開く。薄汚れた天井。
 それから傍らに、
「やっぱり生きてた」
 跪いたシャルナークが微笑んだ。
 悪夢が――……ここに、……。絶句して言葉が出てこない。ただ、回避できたはずだった死の一文字が脳裏をよぎる。
「なんで」
「さあ、なんでだろ」
 そのとき彼の瞳にぎらりと光った悪意を私は見逃さなかった。喉の奥へ氷が滑り落ちていくような心地がする。
「……………私の仲間は、」
「ん?」
「死んだの」
「死んだ」
 シャルナークは、どのみちオレに傷一つ付けられないんじゃ旅団を潰すなんて無理だよ、といつもの調子で続ける。何もかも仲間から聞き出したのだろう。累ねてきた思念も、企ても、能力も。その激情の発露の全てを目の当たりにしたはずなのに、シャルナークの振る舞いは微塵もその残滓を窺わせない。深い翠色の瞳はただ私だけを映している。どうして。うまくいかなかった。どうして。友の、すべてを賭した悔恨が、この男の胸襟に爪一つ立てられなかった。私は?殺される……どうやって。自分の肩越しの空間を惑う目線をとらえ、シャルナークは抑揚なく告げる。
「誰もいないよ」
「!」
「全員君の死を疑ってなかった。オレも最初は騙されてたし……いい芝居してたんじゃない?あ、念能力か」
 彼の右の掌が近づいて眼前に翳を落とした。竦んで息を殺すと、頬に固く乾いた血を親指で強く拭われる。
「今もオレがここでこうしていること、誰も知らないよ。棄てた死体もう一度見に行くやつなんていないからさ。オレも普段はそうなんだけどなんていうか、気になって……珍しく勘がはたらいたっていうのかなあ」
 捕食者の指が、何度も同じところを撫で擦る。痛くはない。ただ、熱くて、疵を抉られていると思った。私が制裁された夜や、私の仲間を始末したときのことを、順序もばらばらに話しながら。終わりを気取らせない雑談が、怖れを掻き立てる。シャルナークが人を殺すときのルーティンって、あったっけ。
「オレたちに近づいたのはあいつの復讐のためだったんだろ」
「……そうだよ」
「君が命懸ける価値ある?」
 問いと共に指先が離れる。
 これが最期の言葉になるのかも、と思った。
「あの人にはあるんだよ」
 返してその刹那、俯いていたシャルナークが視線を引き上げた。瞳の威が消え、遠く旧い景色を思い出すようにそぞろに、ふうんと零した相貌が、柔らかな日差しの向こうに浮かんでいた。
 そして、
「わかるよ」
 と一言。
 やめてくれよ。
 存在ごと踏み荒らし、壊してから吐くにはあまりに軽薄で、それなのに真に迫っているような気もした。かりそめの仲間を演じていたとき、シャルナークのこんな表情は決して知り得なかった。真意が図れなくて、見たくない。顔を背けたいが、瞬き一つに留まった。それが今できる精一杯なのに、屍人の頑なな鈍さがほどけて徐々に五感が鮮明になっていくのがわかる。これからもう一度死んでしまうのに。大事な人も、ここにいる意味もなくしたのに。明らかになってしまう。失ったものも、底知れぬ恐怖も、像を結んでしまう。
「どうしたんだよ、その目」
 立てた片膝の上に頬杖をつき、シャルナークは首を傾けた。
「シャル。私を殺すの?」
「それ逆に聞くけどさ、は死にたいの?」
 冷たい石の上でだらりと力の入らない私の左手を掬い上げ、シャルナークは指を絡める。バレバレだけどねー。手の甲の薄皮へ浅く食い込む爪先に私のとは違うまだ赤い血をみとめた瞬間、途方もない無力感に襲われ、胸の内がざわざわと荒々しく波立った。最悪だ。情けなくて後ろ暗くて、引き絞られるほど辛い叫びが全身から込み上げてくるのに、喉の奥からかろうじて出てきたのは熱い息と、
「…………っ、全部、」
「なに?」
「………………………………ぜ、全部、間違えた………」
「うん。答えになってないけど……。人一倍死にたくないだろ。だからそんな能力なんだよ。自覚ないの?」
「……」
「動けないのに意地張ってるね。泣くかと思ったのに」
 破顔一笑、さらさらの金髪が揺れる。繋いだ手を乱暴に引かれ、言うことを聞かない上体は彼の腕の中にぐらりと倒れ込んだ。血の匂いが濃くなった。わずかな挙動一つ一つに本能が割れんばかりの警鐘を鳴らしている。無遠慮に髪を漉かれて首筋に寒気が走った。
「怖がり」
「うるさい、やめて、今すぐ、最悪」
「余裕ないとそんな風に喋るんだ?今の方が好きだな。嘘がなくてわかりやすくてさ」
 背に回された腕に力が入る。彼の体温を感じるごとに、ただ、間違えたんだ、とどろどろした思念が強くなる。一体どこから。
「私は、シャルの殺し方、嫌いだよ。徒に時間ばっかりかけて、回りくどくて」
「殺す?」
 訝しむ声を上げると、シャルナークは私の両肩を掴んで引き離し、それから瞬きが触れ合うほどの距離に額を寄せる。
「まさか。君、死人にこれ以上くれてやってどうすんの?」
 心臓にナイフでも突き立てられたような心地がした。二人差し向かう冷たい石の上、斜脚の陽光が視界を薄白くぼかしていく。対峙する世界の輪郭が滲む。
「もう………どうにもなんないよ。ただ、あの人には預けていいって決めてたんだよ」
「……んー」
「わかるよって、言ったくせに」
「……まあね。それは本当」
 シャルナークは小さく息をついた。壊れ物を扱うような手つきで目尻を拭われる。
「だから間違えたっていうんなら、相手を間違えたんじゃないの。二度目の人生、君にあげたのはオレだよ。除念の条件にキスしてキーワードなんて、ほんとベタすぎてバカバカしかったけどさあ……あの言葉、ちょっと皮肉が効いてるよね」
 覗き込まれた双眸に、私が映っていた。瓦礫の傍らで力なく怯えて、虚勢を張る死に損ない。
 シャルナークは他の団員になんて言うかなあ、ここ埃っぽいから頭回んないなあとぼやきながら、ついでのように、が生きててよかったと告げた。


元の姿に戻れ



240225
裏話