何かが動いている気配がした。見るとちょうど自分の真上、天井に黒く大きなシーリングファンが一定のリズムで回っている。ここどこ?身じろいだ瞬間、寝過ごした朝のように超速で全てが理解できた。「げっ」思わず声が出る。意識と感覚は平時より冴えている。ただ首から下が糸の切れた人形のように微動だにしない。マジか。目だけでぐるりと周囲を窺うと、ベッド脇のスツールに座する下手人がこちらをひょいと覗き込む。

「おはよ」
「おはよじゃないんだよ」

 かといって適切な言葉も分からんけどおはよだけではないんだよ。イルミは私の渾身の一睨みをスイと交わしサイドテーブルに頬杖をつく。

「イルミこれどういう状態??」
「ごめん、ちょっとビックリさせようとしたんだけど」
「ポックリの間違いでしょ」
「あれさ、精孔をこじ開ける薬なんだよね」

 普通に薬って言っちゃうのかよとツッコミが喉元までせり上がったが別にコーヒーだとは一ミリも信じていなかったので引っ込めた。と同時に巨大な疲労感の正体が判明して懐かしさが腑に落ちる。
 オーラの消耗か、念を覚えたての頃にやったなあ。想定外の郷愁に耽る間に、イルミは腕を伸ばしてシーツの上に広がる私の髪をサイヤ人みたいにして遊んでいた。やめんかい。

「何そのうさんくさいアイテム……」
「秘境にいた魚獲り名人の爺さんから買った」
「絶対魚の精孔開けてるじゃん!」
「後で気づいたんだけど無味激臭だから暗殺に向かないんだよね。でもどうしても試したくってさ。で、念能力者なら平気かと思って」

 結果平気でもないし激臭の部分は念関係なくない?イルミは案外効いちゃった、と悪魔のようなことを述べた後で流石に反省したのか、怒った?と似合わない問いを繰り出すと尚私の髪を逆立てている。どっちかにしてほしい。為されるがままに天井を見上げていると、怒るどころか憤憤憤怒くらいいく所業のはずが、突如浮かんだ他の心配事で霞んでしまった。マズいな。クロロになんて説明しよう。

「それよりお願いがあるんだけど、私の携帯で着歴一番上の番号にかけてくれない?」
「いーけど。誰」
「……………パン屋」
「お前嘘ヘタだね」

 こっちの台詞だよと返す内に、イルミはさっさとバッグを漁り携帯を取り出した。次の瞬間には「あ、もしもし」と勝手に通話を始めている。ちょっと!!

「だって手使えないじゃん」
「誰のせい!?」

 発奮するも無力に転がっているしかない電話の持ち主を無視して、イルミは会話を続けていたがすぐに相手に気づいたようだった。声で分かる程度に付き合いがあるらしい。「あれ、クロロ?パン屋だったの?」それは違う。私が悪かった。

「へー、君たち知り合いなんだ。何繋がりか分かんないけど面白いね。ちょっと今と一緒にいるんだけど……え?それはいいじゃん。色々あってが一歩も動けなくてさ。あ、無事だよ無事」
 一番大事なとこをぼかすな。
「そうそう……ハハ、そりゃ怖い。市内のホテルにいるから場所送るよ。じゃ」

 耳をそばだてたものの向こうの反応はさっぱり分からない。あっさり通話を終え、イルミは位置情報を送信すると携帯を置き立ち上がった。

「よかったね、クロロ来るってさ」
「え、帰るの?」
「うん。殺されたくないし。ま、こんなだけど久しぶりに会えてよかったよ」

 その私をこんなにした当人は、励ましのつもりなのか白い手で私の頬をトントン叩き、数時間で動けると思うからがんばりなとひっくり返る程無責任な言葉を残して扉の向こうへ消えた。動けない私は一人サイヤ人のまま、仕方がないのでどんな顔でクロロを出迎えるか真剣に考えることにした。イルミの発言がやけに耳に残る。殺されるって誰に。









 それからクロロが来るまでは僅か十分ほどだった。私の感覚が間違っていなければ。キィと控えめに開いた隙間から黒い瞳が覗き、一回閉じた。なんでだよ。それから再び扉が開いてクロロが入室してきたが、なんのリアクションもせずちょっと距離を取ったままこちらを見つめている。気まず。腹に大穴開けたのがついこの間。これに関してはさすがにあのサイコキラーのサイコドリンクに全過失があるものの、傷も治らない内からこの有様。アホなのか?アホです。言い訳も思いつかずに固まる私とコントみたいな構図でしばらく睨み合った後、あちらが先に神妙な面持ちで口を開いた。

「……ジャンルが分からん」
「プレイじゃないわ!!」

 腹から声を出したせいで傷跡を刺すような痛みが襲った。痛!!また死ぬほどくだらない理由で傷が開きかけた。顔面だけで悶絶する私を一瞥だけしてクロロは窓際の方へ歩いて行き、さっとカーテンを開けた。薄暗がりの部屋に日が差し込んでくる。

「眩しっ」
「この季節は日が長い。命拾いしたな」

 そうしてクロロは私を丸太のようにごろんと一回転させてスペースを作るとベッドの端に腰掛けた。つられて体の右側が少し沈む。目に入った髪を払おうと首を振っていると、クロロの指が毛束を掬ってシーツに流した。指越しに目が合う。

「一応聞いておくがこの状況はなんだ」
「イルミに会ってノリでヤバいコーヒー飲んだら精孔が全部開いてオーラ使い果たしてぶっ倒れました」
「そんなノリがあるか」
「へへ」

 へへじゃないだろ、と至極真っ当な返しをされてまた妙に面白くなってしまう。ほんとそうなんだけど。気が緩んだのかこの状況がやけにおかしい。訳が分からなすぎる。クロロは笑っている私をこいつはあほなのかという感じの目で見下ろしていたが、それ以上責め立てようとはしなかった。

「いつまでこの状態なんだ」
「うーん……体感ではあと三時間くらい」

 言うなりクロロは額に手をやり珍しくはあ、と大きなため息をついた。らしくない。と思ったら目を丸くする私をもう一回転がして、クロロは空いた場所目掛けて思い切りダイブする。スプリングが勢いよく軋み、真っ白いシーツの繊維が舞い上がって日差しの中できらきら光った。
 横を向くと、腕をまっすぐ伸ばして突っ伏したクロロが大きい羽根枕に耳まで埋まっている。あちこち跳ねている後頭部の髪を見ていると枕の中から、いきなり妙な連絡をよこすな、とくぐもった声で恨み節が聞こえてきた。

「……それはほんとすみません」
「………」
「展示はどうでした?」
「ん。ああ、そうだな……悪くなかった」
「盗むんですか」
「いや、いい」

 どっちなんだと思ったものの、ついていく羽目になると自分の首が締まるだけだ。そうですかと受けるに留め、また場がしんと静かになる。どこからかきゃっきゃと子どものはしゃぐ声がした。さっきは気づかなかったがこの建物は広場に面しているらしい。ずっと同じ姿勢のままだったクロロがぐるりと仰向けになって、、と私を呼んだ。

「今夜はパレードだそうだ。観に行くか」

 予想だにしない提案に、束の間時が止まった。クロロの目線は天井のファンを追っている。頬に薄く枕の痕がついていて、今日起こったどんな出来事より余程冗談みたいだ。

「どうしたんですか急に」
「気分だ。もう盗みって感じでもないしな」
「美術館へ行くよりはそっちの方がいいけど」
「決まりだな。俺はそれまで寝るから、動けるようになったら起こせよ」

 反射でええ、とは言ったものの他に何をすることもないのだった。視線をふとやった窓の外には鯨のような大きな雲が浮かんでいる。私も寝ようかな。眠いのは伝染するというし。息を小さく整えた瞬間、考えを読んだようにクロロが言う。

「寝過ごしたら念魚に端っこを食わせるからな」
「端っこ?!」

 こわ!!どこの?!フワッとした脅迫に一人震え上がったが、会話は尻切れに終わったらしい。投げ出した手足は相変わらず自分のではないほどずっしり重く、何より死ぬほど疲れている。三時間は短く言い過ぎたか?しばらくぼーっとしてから、まあいいかと思えて目を瞑った。

 遠く人の声と音楽が聞こえる。閉じた瞼の向こうで白く柔らかい光が部屋の中に充ちていた。

「……おやすみ」
「おやすみなさい」



Zzzzz


200725