ハンター試験まであと一日を切った夜、外はひどい雨だった。公国から戻った私たちとシャルナークとの待ち合わせ場所は、曰くシャルナークの家「みたいなもん」らしい。今まさに荒れまくる海をパノラマで臨める高台の邸宅。どう見ても彼の趣味ではなさそうな鹿の顔面と、いかにも悪い商売で肥えた風体の男の肖像画がワインレッドの壁に飾られており、濁された部分は察するに余りある。

「おい、も飲めよ!」

 暖炉前からフィンクスが野次った。他にもテーブル席を囲う二、三人がどっかから盗んできた高い酒をどんどん開けている。辺りは寂れた別荘地、ゴーストタウンさながら人けはないが、大陸の主要都市を結ぶハイウェイの南に位置しアクセスは悪くない。団員がラフに使う中継拠点でもあるらしい。

「こっちは受験前日なんですけど!」

 返すと同じく受験を控えたはずのシャルナークがフィンクスの向かいでこれウマいね、とローストビーフを食べている。こっちの気も知らないで。巻き込まれぬよう隅に構える黒革のドデカソファを陣取ったものの、気が落ち着かずちっとも眠れない。右手に収まる携帯画面には、「ハンター試験 過去問」で一夜漬けを企てた迫真の検索結果がしょうもないタブの羅列となって残っている。ハンター協会会長の顔は?彼女は?自宅は?

「あああ〜〜〜マジでどうでもいいこれ」
「見るに耐えない足掻きね」

 辛辣な声に振り返ると、通りかかったフェイタンが瓶とグラスを手に立っていた。爆速ストレートだ。ぐうの音も出ないでいると、フェイタンは元いたところへ戻らずこちらへ回り込み、対になる正面のソファへ腰を下ろした。ロックグラスへ手荒に酒を注ぐと、家主かくやというドスの効いた顔でフィンクスらの方を窺う。

「…………あいつら」
「え?」
「カード。何賭けてるかわかるか」
「え……わからない、なんですか……」
「指」
「ヒェ!!!!」
「ハハ、嘘に決まてるね」

 ?!ガタン、とのけぞるとカード組の面々がそれぞれうるせーぞという顔でこちらを見た。ひとしきり肩を震わせ笑うと、手の内で揺れている琥珀色を一口煽り、お前生きてたのか、とフェイタンが挑むように口角を上げる。

「なんとか生きてますよ」
「ハ、それはよかたな」
「全然よくなさそうなんですけど…」
「何言うね、助けてやろうとしたの覚えてないか」
「え?」

 いつだ。珍しく多弁なフェイタンはそれ、と傷跡を指し茶化すような口調で「血止めるには傷焼く、これ一番早いよ」と続ける。あの晩の映像と翳された掌の熱が脳裏に蘇った。
 冗談でもとどめを刺し損ねたとか言われると思ったのに。恐る恐るフェイタンの表情を窺い、ありがとうございます、と告げる。テーブルの小皿から目についたオリーブをとって口に放り込んだ瞬間、背後でワッと歓声とも悲鳴ともつかない声が上がった。確認するまでもなくシャルナークが負けている。声のボリュームから察するにフィンクスもそこそこに負けているらしい。暫し勝敗の行方に気を取られ、間が空いた後フェイタンがぼそりと呟いた。

「ま、焼き損ねたけどな」
「!?」

 なんだその残念そうな顔!やっぱ私のこと燃やしたかっただけだろ!!フェイタンは悪魔的な笑みを以って動揺に応える。

「気兼ねなく傷持てこい、じゃんじゃん焼いてやるよ」
「バーベキューみたいな言い方しないでください!!」
「さっきからうるせーなお前らは」

 振り向くと呆れ顔のフィンクスが立っていた。さっきのあれでゲームセットだったらしい。険のない顔を向けて、よおと片手を挙げる。

「負けた。フェイ交代だ」
「ここで見てたね。ボロ負けだたな」
「うっせ!ホラ次始まんぞ」
「たまには悪くないね」

 追い立てられたフェイタンはニヤリと意味深な笑みを残すとこの場を後にした。最後まで怖すぎる。一方のフィンクスは空いたソファに横になると、収まりきらない足を所在無げに宙で揺らしてはテーブルへ腕を伸ばしオリーブを摘んでいる。

「お前は参加しねーのかよ、賭けでもシャルになら勝てんだろ」
「何賭けてるんですか?」
「腕」
「ヒィ!!!」

 本日二度目にも関わらず全力で引っくり返る様を眺めていたフィンクスが、冗談に決まってんだろーがと一笑に付した。反射なので仕方ない。しかも決まってなくはないのがイヤなところだ。膝を抱えて伏せてあった携帯電話に触れると、青白く光った画面に現時刻が浮かぶ。1:05。夜は長い。

「旅団ジョークいちいち怖いんですよ」
「後先考えないくせに気が小せえやつだな」

 フェイタンと同じ話をしているのだろうか。後先かあ。それを言われるとな。私がぼやくとフィンクスは置き去りにされた酒をそれ残ってるかと顎で指す。瓶首を持ち上げると些か重く、空いたグラスに傾けると丁度縁ぎりぎりのところでなくなった。「もーやんないですよ、フェイタンに燃やされちゃうし」「ああ?」ガラの悪い相槌を寄越すとフィンクスは起き上がり、グラスを手に取った。

「そりゃねーだろ、やりすぎてお前死んだらマズいしよ。まともに治してやろうとしたんじゃねーの」
「ほんとに?」
「アイツキレてなきゃ加減はできんだよ」

 からかうでもない素の物言いに面食らう。気休めではなさそうだった。そっか。まあ、そう言われればそうなのか。焼き損ねたはどう考えても本音だろうけど。
 じゃあ、あの時。何の気なしに部屋を見渡すと、キッチンカウンターの隅でクロロがミネラルウォーターを飲んでいた。視線に気づかれ、用もないのですぐに目を逸らす。
 ――……なんでクロロは止めたんだろう。

「シャル!ビールくれ!」
 叫ぶや否や真っ直ぐ飛んできた缶を受け取り、フィンクスはそのままこちらへパスした。いや、明日試験!何処吹く風で酒をかっ喰らうフィンクス越しに窓の外では一層豪雨が勢いを増していく。服の上から肌の引き攣れをなぞると、ずきずきと疼くように痛んだ。

「つーか、いつの間にかフェイタンと仲良くやってんのな」
「どこが?!」



あとがのこる


200809