「一つ聞きたいことがあるんだが」
「なんですか?」
「そういえばお前の能力を知らないと思ってな」

 は二、三度瞬きをしてこちらを見る。さすがに率直すぎるかと思ったが、それらしく取り繕ってまで聞き出すつもりはない。黙っていたってあと半日は空の上だ。ほんの退屈しのぎを見込んだだけで、この質問を選んだのは……単に俺の悪い癖だ。



 事の成り行きで参加したハンター試験は一言でいえばぬるかった。目的はあくまでライセンスで大きな期待は寄せていないにしろ、興味を惹く念使いどころか素人に毛が生えたような連中ばかりで少々がっかりはした。どいつも威勢だけはいいが。
三次試験会場へ向かう飛行船は東の航路を取っている。気でも触れたのか部屋の隅でずっと独り言の煩い奴がいたから、静かな場所を探そうと本を手に廊下へ出ると、戻ってきた同室の男と肩がぶつかった。

「おい兄さん、邪魔な所に突っ立ってんじゃねえよ」

 そのとき不覚にも本を取り落としたのは、男に子犬ほどの力で小突かれたためではなく、その肩越しに通路の突き当たりから駆け寄ってくるあいつの姿が見えたからだ。なんて顔をしてるんだ、と思った。
 どうしたものか逡巡したが、男の方は軽く威圧してやると忽ちに怖れをなして部屋へ消えた。

「クロロ!」
 本を拾い上げるのとほぼ同時にの声が降ってくる。

「今、殺そうとしてました?」
「どうだろうな」

 別に殺すつもりもなかったが適当に返すと、は真に受けたのかぎょっとして袖を引いた。「行きましょう」読書がしたかったんだが、と言う間も与えず歩き出す。仕方がない。左手にある大きなガラス窓は出航時から変わり映えもせず青一色だ。手近な窓の前で立ち止まると、は手摺りに凭れ掛かる。

「シャルナークは?」
「部屋で休んでる。お前はどこへ行ってたんだ」
「食堂見つけたからクッキー買ってきました。ほら、めちゃでかい」
「……」
「い、いいじゃないですか、売ってたんだから」
「別に何も言ってない」

 一次試験前は葬式にでも出てるような様だったのに現金なやつだな。言いたいことを察したのかはいい天気ですよねと遠くへ視線を投げた。話題転換に無理がある。つられて水平線を眺めてみたが、凪いだ水面が続いているだけで島影一つ見当たらない。

「…
「はい?」
「一つ聞きたいことがあるんだが」
「なんですか?」
「そういえばお前の能力を知らないと思ってな」

 団員間ならこうもいかないだろうが、意図としては向こうにカモメが飛んでいると言うのとさして違いはない。文脈を無視して間に置かれた問いに、いっとき考える素振りを見せたがはあっさり「物を直せますよ」と答えた。

「自分の車は直さなかっただろ」
「うーん、仕組みがわかんないものはダメで。普段の仕事では、褪せた写真とか美術品直してるんです」
「構造を把握することが条件か?」
「それだけじゃないけど、こうやって、」
 陽に透けた腕が宙で弧を描く。
「元あるダメージを別の何かに移さなきゃダメなんですよ」
「成る程」

 手頃な相槌を打ちながら何より先に、警戒心がなさすぎるな、という感想が浮かんだ。明け透けに喋るやつだ。

「直すだけの能力にはしなかったのか?」
「できたかもしれないけど、イメージの問題でこうなったっていうか…」
「イメージ?」
「なくならないものは誰かが引き受けなきゃだめでしょう」

 なかったことには出来ないし、と続けて腕を下ろしは上体ごと手摺りに預けた。返事に思索を要したのは共感に乏しかったからだ。人も物も壊した先のことは知らない。痛みは与えて終わりだ。そうするより他にあるか、俺たちに。理解の糸口を探す空白、エンジン音だけが響く誰も居ない廊下で同じような風景が目の前を流れていった。
 結局出てきたのは、珍しい能力だなという一言だけだった。そこそこ本音だ。

「でも意外とお金にならないんですよねー。習得したときも深く考えてないし。だから副業で護衛とかやってて」
「いや、想像したよりはまともだった。お前らしくない」
「それどーいう意味?」

 悪く言いたいわけじゃない。これまで盗んだ能力の中にはないタイプだ。
 油断しきった横顔を一瞥すると、腹の奥底で下らない考えが僅かにちらついた。俺はこの瞬間も盗賊で、これはひとえに習慣めいた思考の流れだ。、他愛もない雑談だと思っているお前には悪いが、ごく自然に浮かぶんだ。お前の念を、盗めるか盗めないか――…

「ねえ、クロロ」

 不意に投げられた声に思考が中断される。出し抜けにが「さっき落とした本、借りていいですか」とこちらを窺った。真っ直ぐ伸びてきた手に促され望み通り渡してやる。もう片手に持っていた何かと並べて窓枠の上に置くと、が得意げに目配せした。

「見ててください」

 そう言ってから瞬く間に能力は発動した。落としたはずみで折れ曲がった本の表紙が、時間を巻き戻すように修復されていく。同時に、翳したもう片方の手の下で、個包装越しのそれに音もなくひびが入っていく。




「はい」

 やはり警戒心のないやつだな、と思った。差し出された受験番号札ほどもあるチョコレートクッキーの片割れは、中央で二等分されている。条件まで知らないとはいえ、俺が他人の念を盗むことは承知のはずだ。どうしてためらいもせず見せられる。こんなところで、こんな使い方で。当人は気にする様子もなく、おいしいだのとでかいだのと言ってクッキーを食っている。ここへ何しにきたんだ。
 受け取ってしまった片割れを半分ほど齧ると、隣で早々に食べ終えたがにやりと笑った。

「いい能力でしょ」
「そうだな」

 想定外の返答だったのか自分で言ったくせして目を丸くしている。なんなんだ。陽が傾きはじめた海面がやたら眩く光るのを見渡して、幾度となく繰り返した手管が脳裏を掠めた。質問に答えさせ、能力を見た。三分の二は労せず終えたわけだ。あとはただ――……

「今日、ほんっといい天気ですね」
「……ああ」

 しばらく着かなくていいのになあとがぼやいた。願わなくとも明け方までの長旅だ。
 返事をしてもう一口食べてみたが、こんな場所にしては笑えるほど甘かった。あとは……そうだ。今、コーヒーが欲しいな。



アンサー


200811