仮宿と呼ばれる廃墟は、国境から七十キロほど離れた山奥にあった。私の車を乱暴に運転するクロロはこれから起こることや仲間について一切説明しなかったが、サイドミラーがせり出した岩にぶつかって弾け飛んだ時だけ「インドの車にはサイドミラーが無いらしい」と言った。どうでもええわ!
 悪いな、と羽根より軽い謝罪を受けたところでクロロはブレーキを踏んだ。月明かりすら殆ど入らない、深い森だ。人の立ち入った形跡はなく、しんと静まり返って生き物の気配すらない。私こんなとこで何してるんだろ?帰りたさが募るあまり一言も発さずシートに収まっている私を尻目に、クロロは車から降りると携帯のライトで足下を照らし、タイヤ痕に目を留める。

「先に来ているようだな」

 詰んだ、いよいよ逃げられない。何とかUターンする口実を考えていたのだが、私は観念して車から降りる。

「どうした、覇気がないぞ」
 クロロはしらじらしく言った。
「……さっき寄った店のナゲットにあたりました」
「お前の家の変な匂いのシリアルよりマシだ」
「……?!!しませんから!!」

 あんた私んちの匂いにめちゃめちゃ文句言うな?!食ってかかる私に事実だ、と制してクロロは先の暗闇へ光を向ける。無駄口を叩き始めて十秒もしない内に、蔦に覆われ崩れかけた、石造りの建物がそこに現れた。



「団長、こいつ誰だよ?」

 まあ、そうなるだろうとは思ってた。出会って五秒でブチ切れているジャージの男と、黒服の小柄な男が私に向けているものは明らかに殺意だ。怖いし帰りたいし見ず知らずのジャージ男にキレられる謂れもない、しあんたこそ誰だよ。恐らく私の混乱の最後の部分だけ感じ取ったのか、クロロは「フィンクスとフェイタンだ」と教えてくれた。いや、もっと違うとこ察して!かっと目を見開くと、伝わったのかそうでないのかクロロが二人の視界から私を隠すように前へ立つ。

「殺すなよ、この女を殺したら俺が死ぬ。そういう念をかけられた」
「ハア!!?なんだよそれ聞いてねーぞ」

 めっちゃキレてんじゃん……。初手から思い切り萎えた。とはいえ走って逃げるわけにもいかないので、私はクロロの背中を眺めながら必死に動物の赤ちゃんのことなどを考えて気力を保つ。

「直接説明した方が早いからな」
「ふざけてるね」
「ふざけた話だが事実だ」
「こいつの能力か?」
「いや、別の術者だ。解除条件を聞き出す前に死んだ」
「しばらく見ねー間に、そんな面倒な念にかかってたのかよ…」
「解除条件は単純だと踏んでいる。どうやら除念は困難らしい」
「それを見つけるまで、この女がついてくるってか」

 フィンクスは不服そうな顔をした。気持ちは分かるが、私の方が不服なんだよ!逆ギレ衝動を抑えこんで私は軽く頭を下げた。

「…です」

 フィンクスは腕を組んで何も言わなかったが、さっきから殆ど喋っていないフェイタンが一歩進み出て手を差し出す。え?握手?

「軽く爪剥ぐか」
「なんで!!?」

 思わず大きな声を上げて仰け反った私に、フェイタンは眉を顰めて「うるさいね」と苦言を呈した。なんでだよ!!ビビり倒して五メートルほど後ずさりするとフェイタンは小さく舌打ちして手を下ろした。幻影旅団怖い!繁みに半分ほど潜った私を呆れた顔で見やると、クロロは肩を竦める。

「挨拶みたいなものだ。フェイタン、やめてやれ」
「きと足手纏いになるよ。はじめに少し痛い思いさせた方が動かしやすいね」
は素人じゃない。意外と動ける」
「仕方ないね」

 何この会話?!!異次元すぎて頭の処理が追いつかない。挨拶「みたいなもの」の括りの緩さも爪剥いで動かすという発想も本当に意味がわからないし、当面の危機は去ったみたいだけどこのサイコキラーには絶対、一生爪見せない。手をぎゅっと握って恐る恐る繁みから出てくると、フェイタンとクロロは何事もなかったかのように打ち合わせをしていて、さっきまで仏頂面だったフィンクスは腹を抱えて笑っている。とどめに振り返ったクロロが言った。

「こいつらの車が壊れてるから、全員お前ので行くぞ」

 最高の夜と廃車は約束された。


リスキービジネス


150809