空港で拾ったタクシーのドライバーは無愛想だった。渇いた土地をただ流していく沈黙の中、ラジオのチューニングは合わないわドライバーのフリスクは空っぽだわで的確に気まずさのポイントを上積み続ける。やがて景色は洒落たビル群に変わり、メーターちょうどの代金を渡したところで、くすんだカーラジオから軽快な音楽が聞こえてきた。今チューニング合うのかよ。
 後ろ手にドアを閉めると、容赦ない陽射しが路面を照りつける。
「あっっつ」
 朴訥たる独り言は大都会の波に消えていった。街の南北に走る目抜き通りにはブランド店が立ち並び、色んな身なりの観光客がごった返している。かと思えばその辺のチープな屋台から漂うプレッツェルの香りが鼻腔をついた。情報量が多いな。降車した路肩から渋滞の列をそのまま横切り、私は早足に石造のひときわ大きな建物の陰へ逃げ込んだ。

 なんとなく、知らない場所で、よくわからない仕事を引き受けてみようと思った。
中央駅の構内は少しひんやりとして、だけど大理石の高い天井に大勢のざわめきが反響してそれなりにうるさい。こんな場所でクライアントなんか見つけられるんだろうか。オークションに出す品をうっかり粉々にしちゃったお客さん。
 もうどこへ向かうかさっぱりなので、目についたバカデカい像に近づくことにする。所在なさげな人間が他にもうろついているので、土地勘のない者を吸い寄せるらしい。気づけばもう昼時だ。そりゃ人も多いか。お腹すいたな、と考えた時にカバンの中で携帯が鳴った。
 クライアントだ。

「もしもし。………はい今駅に着きました。あ、同じタイミングでした?ちょうどよかった」

 きょろきょろと辺りを確認してみるが、誰もが待ち合わせの最中らしく電話を片手に右往左往している。出会える気がしない。

「私はなんかでかいブロンズ像の前で……はい、え?いや、犬じゃないです。オッサンです」
 広大なフロアを見渡すと、壁伝いにいくつか像が置かれている。いずれかの傍にいるんだろう。
「え、ライオン?違います、オッサンです。……いや、ライオンか?見ようによっては」

 皆がそうするように私も待ち人を探して、人波を掻き分け歩き出した。スーツケースを押す旅行客、チュロス食べてる家族連れ、ラフな服着た地元の商売人。すれ違う他人を意識の端に捉え、目線は遠く向こうの目印だけを追いながら、隙間を縫うようにして歩みを進める。

「もしかしてあれのことかも……」
 さっき通り過ぎたところへ戻ろうと踵を返した時、視界の外から現れた人影にぶつかりそうになって足を止める。

「―――

 ほんの一瞬だった。

 “よそ見か?”
 そう聞こえた気がして、ばっと振り返る。揺り起こされるような。喉元の寸分先をくすぐるような、からかいを含んだその声色。振り向いた先には、地下鉄のホームへ続く階段から止むことなくただ降車客が吐き出されてくるばかりだ。行き交う人々の真ん中で突っ立ったまま、私は動けない。

「………、」

 いるの?


 その時、電話口からクライアントの呼ぶ声がした。「あ!大丈夫です、聞こえてます」答えて我に返り、また歩き出す。見知らぬ人の群れに刹那浮かんだ陰影が、幻でないことの確信が持てなかった。いるのかもわからない相手に、誰も拾わない言葉を返す。よそ見ばっかりしてるわけじゃないよ。いつかの夜、絶海の遥か空の上でクロロが導いたままに進んでる。暗くて危うい、でも特別な方へ。

 クロロはこの世のどこかにいて、それだけが私の真実として今日まで続いている。
 ただ誰でもない雑踏に誰かの姿を探し、ほんのちょっとだけそこにいてほしいと思った。あれから季節がいくつか過ぎたけど、さいごに聞いた潮の音まで鮮明に蘇る。なんだか変な気分だ。でも街の熱があの人の幻を見せるというなら、これ以上の土地はないかもしれない。

 「時計の下……もしかして手振ってます?……ああ!こんにちはゴンさん、はじめまして!」

 ここはヨークシンシティ、たった今地上のどこよりも人間の情念が渦巻く欲望の坩堝だ。




まだ覚めた夢の中


220211