静かな昼下がりだった。テレビの中では穏やかな顔のキャスターが、先週隣国で起こった事件の詳細を告げている。あの日洋館から逃げ出した変態の群衆は命からがら麓の村へ辿り着き、そろって拘置所へブチ込まれたようだった。数日かかってどうにかボンテージ一丁で身分を証明したと同時にあの館での盗品の売買が明るみに出て、次は刑務所にブチ込まれたのだという。毒舌タレントが「間抜けですねえ」と普通のコメントをする。ほんとだよ。あっさりと次のニュースが始まると、背を向けてキッチンでコーヒーを淹れていたクロロがとってつけたように「たまには慈善事業もする」と言った。嘘つけ。

 とにかく静かだった。その麗らかな午後を突き破ってやってきた非日常は次の瞬間のクロロの、「ない」………。それきりまた黙り込む。なにが?と思ったがこういうのをつつくと碌なことはない。独り言のようなので無視していると、クロロは突然振り向いた。

「俺のプリンはどこだ」

 ええ?思いのほかマジのトーンでそんなことを言われたので、思わず声が裏返る。念をかけられたときよりも緊迫した空気だ。それはどうなんだ。クロロは「ええ?じゃない、」とコーヒー片手に真顔で詰め寄ってくる。いや、……ええ?クロロは結局ソファに寝ていた私を押しのけてスペースを作ると、隣に陣取った。

「あ〜…食べたかも。たぶん。ゴメンなさい」
「人の所有物だぞ。その態度はひどいんじゃないか」
「私の車のこと覚えてます?」
「あれは謝った」
「私も謝りました」
「プリンはうまい」
「車は人乗せて走りますよ!!」

 どんだけ醜い争いだよ。人類を作った神様がいるならこれ見て泣いてるだろう。

「よし分かりました、私はプリン、クロロは車、お互い悪いんで二人共切腹しましょう」
「公平性に欠けるだろう。俺は一回飯を抜くからお前は腹切れ」
「どこが公平だよ!!」

 しかしお前が腹を切ると俺も死ぬからな、とクロロは顎に手をあててぶつぶつ言っている。冗談に聞こえない節もあってなんだか嫌だ。なんの悪ふざけだろう。暇なの?そうこうする内に自分のコーヒーが冷めてしまったのでそっとクロロのを拝借する。

が作ってくれ」
「エホォッ」
「きたないぞ」

 すかさず非難を浴びたが、私はラグに飛沫が飛ばないようにむせていたので言い返すどころではなかった。あんたあれからコーヒーすら私に淹れさせないくせに、なんでだよ。いやです、ムリです、とごねながら、じりじりと距離を詰めるクロロからソファの端へと逃げる。

「いや、買えばいいのでは」
「わざわざ空輸したプリンだ。そこらじゃ買えないから同じものを作れ」
「やだよ!!」

 気づけば私はくそでかいため息をつきながら卵を無心に割っていた。世の中は弱肉強食だ。



 何時間も悪戦苦闘した上に、お世辞にも美味しそうだとはいえないプリンを突き出すと、意外にもクロロはすぐに手をつけた。太陽はもうオレンジ色だ。黙々とスプーンを動かすクロロは、予想していた罵倒のひとつも口にはしない。なぜ。えぐるような酷評に身構えていたので、いささか拍子抜けだ。もしかしておいしくできてんのか、と思い一口食べた瞬間、不快な舌触りと人工的な甘さが脳天を突き抜けた。
「オエッ」
 なんでプリンがシャリシャリなの?端的にいうと地獄だ。初めての食体験で頭がやけに冴えてきた。一口目で敗北を確信したにもかかわらず、先に完食されてしまったものだから妙な責任を感じてさじを投げられない。仕方ないので大量の水と一緒に飲み込んで、胃の中でうやむやにすることにした。なにこの苦行?いっそ容赦なく貶された方がやりやすいのに、クロロはなにも言わないままだ。

「あのー、ひどくないですか、これ?」
「ああ、ひどいな」

 顔を上げて目が合う。………。私は一瞬手を止めた。

「次は少なくともプリンと呼べる代物にはしてくれ」

 いや、もう次はないです。そう返事すると再び手元に視線を落とし、禍々しい黄色にスプーンを入れる。クロロは口直しがいるな、とだけ呟いて席を立った。コンビニにでも行くらしい。座ったまま背中を見送って玄関からドアの閉まる音がすると、私は最後の一口を大きめに掬って無理やり飲み込んだ。静かになった部屋でさっきのクロロの表情を思い出す。


 笑ってたな。はじめて見た。


 胸に残ったものを適当に表現する言葉がなく、私は束の間逡巡した後、いいように暇つぶしに使われたなと結論づけて腰を上げた。空の容器とスプーンをふたつずつ持ちキッチンへ移動する。ずっと窓をあけているのに、卵と砂糖の匂いがまだ微かに残っていた。片付けは明日でいいや。水道のレバーを上げ、シンクに散らばる調理器具に水が溜まっていくのをぼんやり見ていると「なんで完食してんの」と小さい声が漏れた。当たり前だけど、あの人、人間なのか。だからってそれが何というわけじゃないけど。

 程なくして帰ったクロロは、コンビニの小さな袋からビールを投げてよこした。ビール?口直しでそれ、なんか違くない?視線で訴えると「飲んで忘れよう」とクロロは率直に失礼なことを言った。プルタブを上げると窓の外ではちょうど夕陽が沈んでいく。しばらく互いに喋らずビールを飲んでいたが、口直しどころか苦味と甘味が混じって余計にわけのわからない味がした。

「ところで新しい車なんだが」
「買いません」
「お前まだ怒ってるのか。代わりを盗ってきてやるから……何を笑ってる?」
「笑ってません」

 変なひと。





150922