やってしまった。地に伏したまま腹のあたりから流れ出す血で服が不快に濡れていくのを感じていた。感じながらどうすることもできない。風のない静かな夜なのに、耳の内側でドクドクと脈打つ音だけが本当にうるさい。
 綺麗に刈り揃えられた芝生が血で汚れていく。たしかこの先は石造りの回廊で、白い石像が等間隔に並んでいて、もっと奥に進むと赤絨毯のフロアにあの絵が置いてある。今夜旅団に盗まれるはずだったあの絵。よりによって辿り着く前って。

、生きてるか」

 上の方でクロロの声がした。いや、耳はあまり聞こえてないから推測だけど他に呼ぶ人もいないから多分クロロの声だ。とにかく盛大にやってしまった。警備の数の割に侵入は首尾よく進んでいた。ウボォーギン達が暴れている隙に私たちは奥へ奥へと入り込み、一般警備員をなぎ倒し(クロロが)、念能力者をなぎ倒し(クロロが)、そうしてさっさと仕事を終えて帰路に着くはずだった――…のに。

 行く先に待つ何かに月明かりが反射してぎらりと光った瞬間、私の体は自分すら驚くほどの敏捷さを見せて、クロロの前に飛び出した。鋭い痛みが脳天へ突き抜け地に伏す間際、スローモーションみたいに気の遠くなるほど長い一瞬、私たちは目が合った。息を呑んで、目を見開いて。まるで違う人みたいだった。あのクロロが。



「団長、残党片付けたね」
「ああ……悪い。逃がすと面倒だからな」
「問題ないよ」

 場に増えた気配がフェイタンだと気づき心臓が氷のように冷えた。ヤバい。散々ポンコツ扱いされてたのにこれだ。死なない程度に追撃を喰らうかもしれない。早く起きなきゃ、と思いながら意識を保つのが精一杯で、力強い手で肩を掴まれると為すすべもなくそのままごろりと仰向けにさせられた。薄ぼやけた視界の上の方にぽっかりと月が浮かんでいて、フェイタンが無表情に私の顔を覗き込んでいる。何を言われるかと思ったら、フェイタンは「よかたな、死相出てないよ」とだけ告げ、私の傍らに屈んだ。

 あれ、怒ってない?傷がじんわり暖かく、触れられたような感覚がする。

「フェイタン、やめろ」

 水の中にいるようなのにクロロのその声だけクリアに聞こえて、私の落ちかけていた瞼を引き上げた。添えられていた手が離れる。マチを呼んでこい、とクロロが続けるとすぐにフェイタンの気配が消えた。
 あっちの仕事は終わっているのだろうか。確実に迷惑をかけている、いや迷惑ったって無理やり付き合わされてるだけだから、それもおかしくないか?何にせよ一番おかしいのはこのまま死ぬことだ。クロロを道連れに。死相、出てなきゃいいけど。

「帰るぞ、。聞いてるか」

 徐々に暗転する景色の中で、人影が動いた。見えないがなんとか聞こえる。つとめて平常に了解、と言ったつもりが喉に血の味が込み上げる。声になっているかわからない。クロロが私を担ぎ上げようとしたので咄嗟に歩く、と答えたが、今度は確実に言葉にならなかった。体に力は入らない。涸れてくぐもった声で名を呼んでも返事はなく、抱え直されただけだった。




 最悪だなあこれ。クロロの背中と石床の上に血の跡を作りながら、思いの外意識が長いこと保っていたので、最悪じゃない要素を探そうとするものの何にも浮かばない。バカとかアホとかグズとか、もう何でもいいから言ってほしいと心が千切れそうなほど祈ったけど、それから私が意識を手放すまでクロロは何も言わなかった。何も。





眩暈


190716