好きな男はホモだった。これはまだ笑える。いやキツいけど、ホモの男を好きになってしまうよりはいくらかましだ。順序が入れ替わると事態の悲劇性は途端に跳ね上がる。逆にもう何が諦めさせてくれるんだ。ないやろ、とベンチに寝転ぶ白石は、こちらへ目もくれずに言い放った。あのやさしい男がこの態度。最初めっちゃ親身だったじゃん。ヤンジャン読むな。沈黙の中にある私の不満をだいたい察したのか、白石はごろりとこちらを向く。

「おれ何年背中押したと思てんねん」
「白石冷たくなったね?!」
「そんなことない」

 へらりと笑うと白石はまたごろりとうつ伏せに戻った。先輩が引退してからというもの、オフシーズンの部室は第二の家と化している。火曜の二限が空いているのは私と白石だけだ。学部も違うので共通の話題といえばテニス部のことだったが、もうお互いいい加減に飽きてきた。けれども他に行く宛もなく、仕方なくこうして毎週90分ふたりだけの部室で顔を突き合わせている。はずだったのに。

「おーっす」

 音もなくドアを開け平然と入ってきた一氏は、きょろきょろと部室を見渡した。なんでここにいんの?一氏は今必修のはずだ。その見たことないスニーカーめっちゃ似合ってるしさっきの話もしかして聞いてた??返す言葉がグチャグチャにこんがらがっていくつも頭の中を通り過ぎた。何年経っても一氏の前だと頭が回らない。テンパる私に助け舟の一つもよこさず白石はベンチに仰向けになって、顔をヤンジャンで隠して狸寝入りをこいている。あまりに不自然な直立不動でやる気あんのかと思ったが、一氏はすっかり騙されていた。

「なんや、白石寝てんの?呼び出したくせに」

 おい!!寝たふりすんな!!一氏が丸椅子に腰掛けると、白石の肩が微妙に震えだす。笑ってやがる!

が俺に話あるって聞いてん。でちょうど二限休講なったから」
「え!!」

 もう背中押さないって言ってたくせに尻に火を放たれた。なんつー実力行使だ。友人の優しさに感謝するべきか一瞬考え込んだが、一氏から見えないのをいいことに、白石が顔にのっけたヤンジャンはガサガサ揺れている。笑いすぎなんだよ!!「アイスいる?」そうこうしてると一氏はコンビニ袋から出したパピコを割って、片方をこちらへ差し出した。そういうのやめてほしい。好きだから!

「いる…」
「おう。で何や話って」
「……………」

 まっすぐに見つめられ、もっとガチガチにメイクすればよかった、とだけ考えてそこから頭が真っ白になった。なにって、だめだ、何も思いつかない。

「一氏、」
「?」
「ひ、一氏って小春ちゃん以外でも抱ける?」
「……ええ??」

 ええ??自分で言ったくせして私もそうなった。どんな質問?小春ちゃんを抱いてる前提みたいな言い方したけど多分抱いてない。なんなの??戸惑う一氏の肩越しに、ヤンジャンをちょっとずらして白石がものすごい哀れみの表情を浮かべている。その顔やめろ。しかも引いている。ここで始めんなよとでも言いたげだった。始めねーよ。なんで?と一氏は怪訝に首を傾げる。私が聞きたいよ!と口をついて出かけたが寸でのところで飲み込んだ。逆ギレ甚だしい。めちゃめちゃ顔が熱い。いつもこうだ、一対一だとまともに言いたいことも言えない。手汗がすごい。静かな部室で一氏の関心は私だけに向けられている。わけがわからん、もう、どうしよう、

「わ、わたし」
「おう」
「わたしの兄がゲイやねん」
「ハア????!!!」
「うおお?!!」

 後ろから上がった突然の大声に、一氏が飛び上がってパピコを落とした。白石もヤンジャンを取り落として今まで見たことのない形相をしている。

「なんや白石でかい声出して……自分起きてたん」
「あ、ちゃう、今起きた…続けて」

一氏はおお…と頷いてパピコを拾い上げた。

「で、え?ゲイ?ええ?」
「あ、うん…」

 うんじゃねえ。何一つうんじゃねえ。あまりに突拍子もない告白に、一氏はシリアスに構えるかフランクに応じるか迷っているようだった。白石はただただ肩を震わせてなにかを我慢するように頬を膨らませている。真っ赤な嘘もここまでいくと逆に緊張感のピークを脱する。もはやことの顛末より自分の前髪の方が気になりだし、私は口から滑り出すわけのわからない話をコントロールすることを諦めた。

「お前兄貴おったっけ?」
「いや、めっちゃ遠い親戚の兄が…」
「なんやそれ」
「前に試合見に来てて、一氏のこと…いいって言ってた…」
「ま、マジか………」
「ごめんね、急にこんな話して…」

 グフゥ、と白石がおかしな声を出した。こいつ絶対しばく。一氏はマジか〜〜〜、と再び言うとパピコを咥えた。なんだこの空気。私もひとまずもらったパピコを食べることにする。こんな状況ではあるが好きな男からもらったアイスだと思うと百倍おいしい。毎日食べたいなあ、と幸せを噛み締めた瞬間、手持ち無沙汰だった白石が部室の隅っこからもう一つ椅子を持ってきて、なあ、と私たちの間に座った。嫌な予感がする。

「その兄貴、写真もっかい見せてや」

 てめええええ!!!椅子ごとひっくり返してやろうか!!!もっかい見せてやってあたかも以前見せたかのような導入はなんなんだ。有無を聞け。この男、フェミニストな優等生で通っているがそんなわけはない。また私の手汗がすごくなってくる一方、一氏は「ほ〜」とか適当な相槌を打って別に見たそうでもなかった。そりゃそうだ。見てどうなる。人生で一番無駄な行為かよ、とげんなりしながら出てくるはずもない幻のゲイの兄の写真を探すためにカメラロールを高速でスクロールしていると、適当に指を止めたところの写真がぱっと拡大された。

「エェッホ!!!!!」
「おい大丈夫か白石!!!?」

 なんでだよ。画面にたまたま表示された謙也のいとこは、風呂上がりなのか上裸でびしょ濡れだった。あと眼鏡を掛けてない。ちょっと前に金運が上がる画像として氷帝のアホの知り合いから送られてきたやつだ。なんでだよ。白石は普段のスマートさが見る影もなく涙目でむせているが、「こいつやこいつ、」と振り絞るように余計なことを口走っている。やめろ!!

「いやこいつ謙也のいとこやんけ」
「そ、そっくりだよね〜〜」
「エッそっくりなだけかこれ?!!!」
「そっくりなんだよね〜〜〜」
「オェ……あ〜〜〜〜〜しんどい」
「白石お前マジで大丈夫か」

 くの字に折れ曲がった白石の背を擦ってやる一氏を見て改めてかっこいいなおい、と思いながらとんでもない無力感に襲われた。私は何をやっているのだ。面白半分にしろ作られたチャンスだったのに、好意のひとつも表せず、ただ謙也のいとこをゲイに仕立て上げただけだった。六年も好きなくせに。いや、ほんと何やってんの?アホなのか?はーっと大きな溜息をついて、消え入るような声でなんとか「抱けないなら抱けないで、全然構わんから…」とだけ呟く。

はなんでそんなへこんでんねん」
「ほんと、構わんから…」
「さっきから何やねんお前ら」

 好きな男をわけのわからない質問で悩ませて、私はもうどれほどダメなやつなのだ。めんどくさい空気を断ち切るように、一氏は白石の背をばしりと叩いた。

「俺、悪いけど男は抱けへんで」

 呆れた口調でそう言うと、一氏は俺いったい何を言わされてんねん、ともっともなことを独りごちた。ドキリと心臓が跳ねて、きゅっと喉の奥を掴まれたような感覚に私は顔を上げた。緊張してまた汗ばんできた。どんだけ汗かくんだよ。

「え、あ、そうなん」
「やって俺、女が好きやし」
「…………?!!!」

 ?!!!聞いたか白石!!!目の前に星が瞬いたようだった。ぱあっと視界が明るく開けてふと白石を見ると、まだしつこくむせ続けていたがこそっと右手の親指を立て激賞のポーズで応えてくれた。一氏が「ていうかまあ、小春を女子として捉えてるんやけど…」と続けているが細かいことはもはやどうでもいい。恋愛対象として、広い枠の中にはとりあえず入ることができたのだ。私も、女だし!!勢い余って右手を握りしめたせいでパピコがちょっとこぼれて腕に垂れた。そんなこと全然気にならないほど私の恋は、六年をかけてようやくその小さな一歩を踏み出したところだった。

「とりあえずその親戚にはそれとなーく言うといてや」
「うん!!!ユウシくんもわかってくれるよ!!!」
「おいやっぱり謙也のいとこやんけ!!」
「やべっ!」



fam fam

白石は、こいつらアホやな、かわいいな〜〜〜と思っている(そんなに応援してはいないし実るとも思っていない)

20170806