夏の終わり


「オレ、じつはさんにも興味があったんだ」

 その声は、観光客がひしめく市場の雑踏で、やけにまっすぐ耳を打った。マンゴージュース200J。手製の飾り板に白いマーカーの走り書き。露店の軒先に山積みされたフルーツを人だかりのわずかな隙間から眺めていた私は、ぐるりと取り囲む先客を数え、その店での買い物を諦めた。

「私に?」
「えっと、オレハンターになったのにこの世界のこと何も知らなくて。だからできるだけたくさんの人に会って話を聞きたいんです」
 なるほど、と仄かに先輩風を吹かせてみたはいいものの、ハンターとして彼が聞きたいエピソードを披露できるかというとそれは別だった。ペーパードライバーみたいなもんだけどいいのか。いやよくはない。なんにも浮かばずとりあえずもう一度なるほど、と頷いてみる。
「もちろん壺を直してほしいっていうのが一番の理由なんだけど……。それでさんさえよければ――うわっと」

 依頼人はベーグルやらサンドイッチが溢れそうなほど詰まった紙袋を抱えて、体を右へ左へと傾けながら向かいからくる人波を避けている。オークション開幕まであと1日を切った朝のヨークシンシティ。デイロード公園へ抜ける旧市庁舎前の広場は、メインストリートから流れてきたブランド開店待ちの買い物客と、早めの昼食を求める人々でごった返している。例に漏れず私たちも道すがら呑気に見物にやってきた。通路の両脇にはカラフルな屋台テントが所狭しと立ち並ぶ。野菜、果物、なんか燻した肉、パン、絵皿、雑貨、服、花、――。「うわ、つぶれちゃってるや」彼はさっき入り口付近で買ったばかりの中身を覗き込んで嘆息した。しかたないか、と袋の口をくしゃっと丸め、また抱え直す。
 空気はからりと乾いていてあまり風はないが、どこからともなく揚げた菓子のいい匂いが漂ってくる。お腹が空いてきた。長いフライトで半日食べてない。二人横並びになって、目線はそれぞれ別のところをたゆたいながら、前の集団に追い付かないように立ち止まったり歩いたりを繰り返す。

「ゴンくんはなんでハンターになったんですか?」
「親父を探してるんだ。親父もハンターで、どこにいるかもわからないんだけど……きっとオレが見つけられるかどうか試してる」
 大きく屈託のない瞳が雲一つない空を映している。
さんはどうしてハンターになったの?」
 どうして。
 自分から振った定番の話題なのに、聞き返されると答えに一瞬詰まってしまった。名付けもできず、まだどこに仕舞えばいいかわからない記憶がばーっと走馬灯のように駆け抜けて、喉の奥の方で言葉にならずにつっかえている。――それは、
「……なりゆきかなぁ」
「なりゆきかぁ」
 ゴンくんは毒気なく復唱すると、オレの友達と同じだね、と明るく返す。
「試験で会ったんだけど、別にハンターになりたいわけじゃなかったみたい。まだやりたいことを探してる途中なんだ」
「今から会いに行く人ですか?」
「うん!強くて、頭がよくて、オレよりずっと色んなこと知ってて……ギャンブルは弱いけど。でもすごいんだよ!こないだ大ゲンカして壺壊しちゃったんだけど」

 すっごい割れ方してるから見たら絶対びっくりするよー、と若干不穏な発言を残しながらも彼は無邪気に笑った。なんて良い子なんだ。プロハンターってとんでもないやつしかいないと思ってたけど偏ったサンプルしか知らなかったらしい。視線をまた前にやると、斜め向こうに別の果物屋があることに気づいた。あ、と思った瞬間、籠にうず高く盛られたバナナの奥で人相の悪いおっさんが「昼飯か?!」とべらぼうにでかい声を張り上げる。声でかっ。でかすぎて半ば動物的な反射で立ち止まってしまった。おっさんが私から目線を離さないあいだに、同じくその場に留まったゴンくんは紙袋を抱え直し「メールきてたから読んでるね」と私に背を向けた。

「いっぱいあるよ、どれでもいいよ」
 対峙したおっさんは、大小さまざまなバナナ越しになんだかフワッとしたことを言っている。なんなんだ。違いもわからんので近くにあったおいしそうなのを一本掴んだ。
「じゃあこれください」
「あいよ、100ジェニー」
 おっさんはにこりともせず小銭を受け取り、腰から下げた巾着に入れた。握ってしまったのでなんだが、このバナナやけに握り心地がガッチリしている。
「なんか硬いんですけど」
「よく書けるよ、そのボールペン」
「ボールペン!?」

 なんで!?思わずおっさんと同じくらいでかい声が口をついて出た瞬間、後ろから肩を叩かれる。振り向くとゴンくんが携帯を翳してあのね、と切り出した。

「さっき言ってた友達、ネットカフェで待ってるはずだったんだけどすぐそこまで来てるみたいなんだ、それで」
「ゴン!!見つけた!!」

 往来の向こうからそう聞こえるや否や、遠くの方から人混みを掻き分け、誰かがこちらを目掛けてやってくるのが見えた。午前の薄白い陽光を受け、銀色が糸のようにきらきら光っている。見覚えがあると気づくのにほとんど時間はかからなかった。まだ五メートルも先にいる内から、その人物はゴンくんへの声掛けもそこそこにまっすぐこちらを指差し、開口一番――

「イルミのパシリじゃん!!」
「キルア坊ちゃん!!」
「その呼び方やめろ!」

 いって!脇腹を容赦無くどつかれた瞬間、握りしめたバナナからカチッと音がした。芯出とる。出んのかよほんとに。裏表にひっくり返して眺めていると、キルアは久しぶりに会ったと思えん力でどついておいて尚、大きな目をつりあげてこちらを不服そうに見上げた。坊ちゃん呼びが相当いやだったらしい。兄に似てない銀色の猫っ毛。数年前に会ったときはもっと目線が低かった。私が何を考えているのかあらかた想像できたらしく、なんだよ、と彼は口を尖らせる。

「つか名前が同じだからもしかしてって思ったけど、やっぱりだったのかよ。お前昔はプロハンターじゃなかったじゃん」
「ちょっと前になんかハンターになっちゃって」
「なんだよそれ」
「キルア、さんと知り合いなの?」
「こいつ兄貴のツレでさ。実家にたまーに顔出してたんだ」
「いてててて!い、イルミの話はやめよう、古傷開く」
「なんなんだよそれ」
 開くもんは開くのである。もはや一回開いている。
「あとゴン、早くケータイ買えって!お前に貸したらオレ身動きとれねーっつの」
「でも市場に寄っていくってキルアのホームコードに連絡したじゃん、ネットカフェで他の取引しながら待ってるって言ったのキルアだし」
「あのな、そっちがなかなかこねーから来たの!だだっ広い市場すげー探したんだぞ」
「もーー明日買うってば」

 やいのやいの始めた二人を横目に所在なく辺りを見渡すと、依然仏頂面の偽バナナ屋と目があった。見た目だけはおいしそうで腹が鳴る。なんなんだこの店は。

「これほんとにボールペンなんですけど」
「ボールペンだよ」
「じゃあこっちの房のやつは?」
「8色ボールペンだよ」
「昼飯かって言ってたの何?!」

 おっさんはそれとこれとは別だというような顔をした。別じゃねーよ!訝って持ち上げてみたがどっからどう見てもバナナの房である。隣のデリカ屋台のケバブに視線が動くのを目敏く捉え、おっさんは一言「あれマグネットだよ」と差し込む。マグネットかよ!!どうやら珍雑貨ゾーンに迷い込んでしまった。もう一度凝視した房バナナにはギリギリわからないくらいうっすらヨークシンシティと刻印されている。腹立つな!
 不毛な睨み合いのさなか、キルアが何やってんだよ、と横から顔を覗かせる。

「いや、これバナナじゃないらしくて」
「は!?なんでもいーけどさっさと買ってネットカフェ行くぞ」
「あいよ、800ジェニー」
「あいよじゃねーよ!」
「てかもう時間ないって!あのジジイ明日受け取れねーんなら落札取り下げるとかぬかしてて13時に配送所持ち込まねーとダメなの!」
 キルアがぐいと腕を引く。ちょっと!抵抗する間にもじりじり引き摺られ、籠の上へ戻すに戻せないのでやけくそになっておっさんに800ジェニーを差し出した。なにをやっているんだ。

 半身は遠ざかる市場へ名残惜しく向きながら二人の後ろをついて歩いていると、段々道幅が広くなり人手が捌けてきた。ゴンくんが出口だ、と弾んだ声を上げる。デイロード公園に通じる道の手前で、目印のように大きな樹が空へ伸びて、そこだけ涼しげな翳を落としていた。枝葉の隙間から漏れた光が玉のように地面を滑っている。プラタナスの木だ。公園を突っ切ると目的地はすぐそこだった。

「なー、おまえら二人でいるときなに話してたんだよ」
さんに仕事のこと聞いてたよ。なんでハンターになったのかとか」
「ぜってー参考になんないだろソレ」
「坊ちゃん辛口だなあ」
「だからそれやめろって!」

 今度は飛んできたキルアの右手をひょいと躱して一歩距離を取る。見切った。続け様に「両手にバナナ持ってんなよ」と事実でしかない悪態をついているのは聞き流し、そういえば、ゴンくんに言われたことが妙に後を引く響きを伴って残っていることに気づいた。“興味があった”。反芻してみても、それは自分以外のハンターに会ってみたかったという彼の言葉通りの意味しか持たない。
 誰かに言われたことがあるような、なんだか空を掴むような不思議な気分を紛らわすために伸びをした。
 ないってわかってる。ないのになあ。



20240420
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