「どうしようかなあ……」
 緊迫感に欠けた呟きは、湾沿いの遊歩道の楽しげな雑踏に溶けて消えた。ボォッと大きな汽笛を鳴らし、赤錆色の遊覧船が停泊場を離れていく。三回は聞いたのでけっこう長居してしまった。古いガーデンベンチは高く昇った陽で暖まって心地いい。

 昨晩助けたヴェーゼという女性はノストラードファミリーの参加許可証を提げていた。調べたところ、そこのボスには人体蒐集家の一人娘がいるらしい。あの解剖図やらの修復も、本当の依頼主はその子だろう。

 そして今年の地下競売には、人体蒐集家が欲しがりそうな品物がいくつか出品されるはずだ。
 緋の眼も。

 修復の依頼はハンターサイト経由で入っていた。クラピカはプロのハンターだ。立居振る舞いも裏社会の人間じゃない。わざわざ雇い主にノストラードファミリーを選んだのだ。恐らく地下競売への参加を企図して。彼が旅団の誰かを下した復讐者なら、一応道理が立ってしまう。
 まだ有効だったスタッフIDで匿名回線からログインして目録を確認すると、緋の眼が出品されるのは明日だった。9月3日。旅団が団員の仇を探しているならまた競売を襲うかもしれない。今度はクラピカがいるであろう会場を。

「ってなったら……どうしよう」

 ヒソカの話が全部本当ならって前提だけど。そう考えると一気に最悪のイメージの実現性が薄れていく。あの男うさんくさすぎるだろ。そもそも思惑があるなら選んだ札が見込み違いだ。旅団にとって私は何かを変えるような存在じゃ――

 …………。

 きらきら光る水面を船影が遠ざかっていくのをぼーっと見送り、私は携帯の発信ボタンを押した。数コールののち繋がる。

「もしもし」
 応答はない。
「今ヨークシンにいる?絶対いるでしょ」

 耳元でプツ、と聞こえた。切るな。すかさず再発信する。

「もしもしイルミ?」
『うるさいな、何?』
「ちょっと頼みたいことが」
『無理。じゃあね』

 ブツン。あえなく会話は終了した。この野郎!しかし人脈がなさすぎて他に掛けるあてがない。イルミだけて。ぐぬぬ。野良犬でももうちょっと人脈あるだろ。己へのやるせない憤りに携帯を睨みつけていると今度は着信で画面が光った。

「もしもし!」
『あ、?オレだけど。ヒマ?』
「キルアか……」
『がっかりしてんじゃねーよ。つーか、ヒマならちょっと手伝ってくんない?今スゲー人手ほしくてさ』
 電話の向こうが騒がしく、人混みにいるようだった。ざわめきに混じってゴンとレオリオの声も聞こえる。
「ごめんちょっと用事が……」
『オークションのこと?今夜はねーだろ』

 それっきり妙な間が空いた。今夜の競売が中止になったことを知っている。表なら未だしも、公になるはずがない地下の……。沈黙の先にキルアの気まずそうな顔がもはや目に浮かぶ。

「キルア、手伝ってほしいことってさ、危ないことでしょ」
『な、なんでだよ』
「なんとなく」
『あーーそっちのスタンスかよ、じゃあもういーよ』
「何やろうとしてるの?オークションと関係ある?」
『その感じだと止めんじゃん!だからもういい』
「キルアが掛けてきたのに」
『お前いつもわけわかんない仕事受けて死にかけてるからノってくるかなって思ったんだよ!』

 余計なお世話だよ!あと私をナメすぎている。風向きが悪いのを察したキルアはしきりに話を終わらせようとしているが、さすがに聞き逃すことはできなかった。絶対ろくなことではない。少なくとも私が受けそうな時点でろくなことではない。

「言えないならヒントだけでも、何系?何系の危険?人?組織?味?」
『味系ってなんだよ!あーもー切る切る、時間ねーから』
「待って待って面白い話するから!」
 勢い余ってめちゃくちゃな引きが口から滑り出した。キルアが一瞬黙り込む。
「…………えー、本当にあったヤバイ依頼。“殺し屋”」
『イルミじゃねーか!』

 切られた。そうだけど!!すぐに掛け直したが電源を切られてしまったのか繋がらない。止めた方がいいんだろうけど、こうなった以上キルアは私に尻尾を掴ませないだろう。そして真に危機に瀕した時は離脱する力がある。と思う。ちょっと悩んでから私はもう一度電話を掛けた。

 プルルルル。

「もしもし?イルミどこにいる?」
『しつこいなあ。ヨークシンだけど何?オレ忙しいんだよね』
「地下競売をぶっ壊したいから手伝ってほしいんだけど……」
『あっそ。一人で頑張りな』
「イルミ、私の精孔開けたときの貸し」
『…………』
「まだ返してもらってない」
『…………正気?』

 正気じゃないかも。でも失くしたくないものだけ、いつだってはっきりしているのだ。

成り行きの分岐点




20250904

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