「てかどーせ暇だろ?今週オレたちのこと手伝ってよ」
「ごめん、今晩仕事」
「は!?」

 キルアがあまりにデカい声を出すので、テラス席にいた客の視線が一斉に突き刺さった。「なん、でだ、よ!」そのまま丸テーブルの向かい側から容赦無く肩を揺さぶられ、フラッペのてっぺんに座するチェリーが吹っ飛んだ。おい!ゾルディックの人間は私の扱いが雑すぎる。
 依頼から一夜明け、9月1日。昼の3時ちょっと前。茶でも飲もーぜとらしくないメッセージに誘われのこのこと出向いたら、キルアが一人で待っていた。5分と経たずこれなので茶を飲ませる気がない。つまるところキルアとゴンくんはオークションで競り落としたい品があり、数日の内に法外な軍資金を稼ぐ要員として私もカウントされているらしかった。

「クッソ、当てが外れた……ぜってー暇だと思ったのに!明日の夜は?」
「オークション会期はずっと仕事だよ、夜だけだけど」
「マジかよ……おまえイルミ以外に客いんの?」
「坊ちゃん口が悪いですよ」
「いい加減やめろってのその呼び方!」

 小突かれそうになるのを躱して後ろに仰け反った瞬間、その場に甲高い電子音が鳴り響いた。オレだ、と呟いてキルアはポケットから取り出したでっかいカブトムシ状の携帯を耳に押し当てる。カブトムシ状ってなんだ。

「あ、ゴン?……おー、マジ?つか今晩仕事だってさ。そ、……分かった、今からそっち行く。じゃ」
 早々に会話を切り上げるとキルアはぱっと立ち上がり、顎で離席を促した。
「仕事夜からだろ?ちょっと付き合ってよ」




 雲一つない突き抜けるような晴天。残暑、午後の日は高く、私の手の中でチェリーフラッペチェリー抜きがみるみる冷たさを失っていく。カフェを出てデイロード公園を抜けるルートは、途中で真っすぐひなたの芝生を突っ切るか、木々繁る池沿いの小径かの二手に分かれていた。「どーせ急いでねーから」キルアがそう言うので、木陰で涼む人を横目に後者の道を連れ立って歩く。

「ゴンくんは?」
「宝石屋」
「宝石?」
「条件競売やって参加費で稼ぐ作戦なんだよ。で宝石はその景品。もしオレらだけで買えなかったらがテキトーにごまかしてよ」
 レオリオあいつ老け顔のくせに未成年だからなー、ぼやいたキルアはごく自然な挙動でフラッペを取り上げた。二口ほど飲むなり「ぬりぃ」と顔を顰めてまたこちらへ押しつける。自由すぎる。

「つか、なんでハンターになったの?」
「連れが受けるっていうから成り行きで……キルアは?」
「オレ受かってねーよ、最終まで行ったけど」
「そうなの?」
「参ったって言った方が負けのタイマンでさ。イルミと当たって、で次の試合で失格になった」

 にわかに沈黙が落ちた瞬間、奥の広場の噴水が上がるのに呼応して鳩が一斉に飛び立った。言葉に詰まったのは、かける言葉が思い当たらなかったというより想像だけで具合が悪くなったせいだ。イルミ以上に試験の最終局面で会いたくない人いるか?いやいない。病み上がりに会いたくない番付に留まらぬ横綱ぶりだ。

「なんで失格になったか聞く?」
「いや、聞かない」
「あっそ」
 キルアはぷいとそっぽを向く。聞いて欲しかったのだろうか。なんとなく、そうではないような気がする。付き合いが深いわけじゃないけど。
「ま、ハンターは別に本気でなりたかったわけじゃないし」
「そう」
「……なー
「何?」
「…………オレ、殺し屋やめるよ」

「いいね、それ」
 キルアは何も言わなかった。銀色の癖毛が歩くたびに揺れている。ちょうど並木の切れ間に差し掛かり、木陰のない拓けたところへ出た。俄かに周囲から人の声が消え、耳を澄ますと微かに聴こえるほど遠くで、鐘の音が鳴っている。3時だ。

「やめれっかな」
「やめれるよ」
「オレこーんな才能あんのに?」

 自分で言う?と思った矢先、ぱっとキルアが振り返る。それからニマッと笑って大股に半歩前へ踏み出した。「あのさ、聞いてよ」頭の後ろで腕を組み、所在なくくるくる回る、彼の足元で砂利が音を立てる。
「試験のあとゴンたちがウチまで訪ねてきてさ、オレたちはキルアの友達だ、キルアを出せつって執事に啖呵切ったんだぜ、ヤバくねえ?」
 それはマジでヤバい。残りのフラッペを飲み干して、いい友達だねと水を向けるとキルアはうん、と意外なほど素直に頷いた。

「あとヤバいといえばもヤバかった」
「な、何急に」
「昔ありえねーやらかししてイルミにガン詰めされてたの、すげー覚えてるぜ」
 どれだ。記憶を辿るがイルミにはそもそも詰められてない瞬間がない。あと依頼が終わった瞬間全てを忘れようと努めてきたのだ。キルアは私の前を無軌道に歩きながら、声を上げて笑っている。
「密輸武器回収する仕事だったのに、話し掛ける売人間違えてモッツァレラチーズ回収してた」
「何やってんの!?」
「オレが言いてーよ!」
 あんとき何歳だったかな、家族以外と仕事出んの初めてでさー。二つの小径が貯水池の北端でふたたび合流するまで、キルアはとりとめも順番もなく、浮かんできたそばから空へ放り投げるように、私が覚えていることもそうでないことも話し続けた。殺し屋なんかつまんねーと言い捨てたと思ったら、またチーズ回収事件に戻り、しまいに八年前に駅で私と一緒に食べたナッツバーがマズいにも程があったと今さら責められたりした。
 そうやってひとしきり話し終えたとき、
「でも、もーやめっから」
 目を細めて楽しげに笑ったキルアの、重なった睫毛が光を透かしていた。ただそれだけのことで、もうやめてるじゃん、と口をついて出そうになったがなんとなく言わずにおいた。やめられてるよ。


 公園の先の大通りを東に進んでその宝石店へ着いたとき、長身の男性と並んだゴンくんが艶消しの黒い紙袋を手に私たちを待っていた。
「あれ、さんにも来てもらったんだ?買えそうって言ったのに」
「そーだっけ?」
 軽く流したキルアは紙袋からベルベットの小箱を取り出して、手先で弄んだ。一歩後ろで彼らがじゃれるのを眺めていると、この後待ち受ける仕事のことがふっと過ぎって猛烈に気分が萎えた。晴れた空。乾いた芝生。大通り、楽しげな観光客。くそ、こっから行く場所は真逆だ。

「あー、なんか行きたくなくなってきた」
「ばーか、行っちまえ。オレたちの方がぜってーよかったのにな」
 急激に落ちていくモチベーションとは裏腹に、ポケットの中で震える携帯が呼び出しを告げている。今夜のクライアント、アンダーグラウンドオークションへ。

明るいところで話しましょう



20241127
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