ポロネーズ第6番変イ長調



 どこからか雄壮なピアノの旋律が聴こえる。恐らく待合ロビーの方だ。堂々とした迫力。通称はたしか英雄だ、こんな後ろ暗い集会で流す楽曲じゃない。暇も極まる控室の椅子で足を組み替えると、同じく手持ち無沙汰のおっさんが背後で看過できないほどデカいあくびを放つ。
 大小名のつくオークションハウスはそれぞれ馴染みの修理士を抱えている。地上も地下も。そういうのは数十年単位で付き合いのある人間が終生務めているが、今年は地下競売お抱えの爺さんが倒れたらしく、ヨークシンで油を売っていた私に白羽の矢が立ったのだ。

 夕方の早い内に競売品のチェックを終えてしまい、それきりこの部屋に缶詰だ。そろそろ競売が始まるからあと三時間。監視のおっさんも同じことを考えたのか、時計を見上げて呟く。

「中華料理縛りで……」
「?」
「しりとりでもやるかァ」
「無理だろ!!!」
「やってみなきゃ分かんねぇだろ」
「いや無理だよ、青椒肉絲!ほらスだよ」
「……………」

 無理じゃねーか!おっさんが黙り込んだところで、扉の奥がにわかにざわつき始めた。警備が配置に付いている。壁掛け時計の長針がまた進む。午後9時。いつの間にかピアノの旋律は止んでいた。客が全員地下ホールへ入ったらしい。オークション初日の始まりだ。












――なんで、

 微かに息を吐き、汗ばんだ掌を胸に当てる。心臓の鼓動が痛いほど大きくなっていた。鼓膜の内側がどくどくとうるさい。血が昇っている。自分が冷静じゃないのが分かった。こんな危険は初めてじゃないのに。何かがおかしい。先ほど監視が飛び出して行った厚い扉に背をつけ、廊下の気配を探る。
 9時になった瞬間だった。階上の控室にも轟くほどの銃の乱射音。間違いなく地下ホールからだ。悲鳴すら上がらない程、圧倒的に蹂躙を繰り返す猛射。警備は全員階下へ走って行ったのかこのフロアは静まり返っている。

「武器は持ち込めないはずじゃ……」
 呟いて直感する。念能力者だ。外へ連絡を?一瞬考えてやめた。間違いなく複数犯だ。それより早く脱出しなければ。


 銃声が聞こえてから3分。賊が各出口を抑えていたとしても、競売品目的なら客と警備を一掃すれば盗みに移行する筈だ。円を広げて感覚を研ぎ澄ましたが、少なくともこの部屋の前の廊下に人の気配はなかった。このフロアから外に繋がる出口は四つ。内一つは要人用の隠し通路だ。万一賊にその存在がバレていたとして、動線上盗品の搬路に適さない。
 逃げないと。

 静かに扉を開け、廊下へ出た。燻んだ紅の絨毯。壁に点々と灯る橙色のライト。誰もいない。だけど、死の予感が頭を離れない。直感だ。ただの襲撃じゃない。賊のいないことを祈りながら、右手廊下突き当たりの応接室へ向かって駆け出した。
 「っはぁ、はぁ……」
 胸が苦しい。息が上がる。角を曲がる。少し広い廊下。人影はない。目紛しく流れていく視界の中で、地下への階段が遠くに見えた。血溜まりだ。間違いない、あの下で全員―――

「……ぁ…………」

 植え込みの陰から何か聞こえて心臓が凍りついた。臨戦体制で飛び退くと、腕らしきものが観葉植物の陰から覗く。ドレスの女性。生存者だ。抱え起こすと、胸元のIDは血塗れだが辛うじて判読できる。ノストラードファミリー。

「早く、あの部屋から外へ」
「…………」

 眼の焦点が定まらない。複数の銃創。返事のない彼女の肩を支えて走り、応接室へ滑り込んだ。人のいた形跡はない。誰も逃げられなかったのだ。右方にある大判の絵画を退かし、力任せに壁を押し込むと、やや鈍い反応ながら一部がスライドして通路の入り口が現れた。あと少し。鼓動が早鐘を打つ。「先に行って」半ば意識を失いかけている彼女を、通路の奥へ誘導する。
――そのときだった。

 背後に物音を感じ、全身が総毛立った。
 頭が真っ白になり、なぜか――私は糸で引かれたように振り向いた。僅かに閉め損なった扉の隙間から、十数メートル隔て、音の主と一線上に対峙している。永遠にも思える永い一瞬、視線が交差する。そして、


?」

 たしかにそう聴こえた瞬間、私は一心不乱に駆け出した。先に行った女性を抱え、薄暗い脱出路をこれまでにない程全力で走りながら、追ってくる気配がないことにも気づいていた。彼女を先に行かせたのが幸いした。あの角度だと私以外の姿は目に入らなかったはずだ。それでも、やがて通路の終わりが近づき地上へ出るまで、ひたすらに走り続けた。
 鼓膜を打ったよく知る声。
 
 あれはシズクだった。賊は幻影旅団だ。



20241201
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