・ ・ 試験を終えた長い帰路、シャルナークを見送った街はすでに遠く、窓の外に長閑な向日葵畑の風景を流しながら列車は往く。赤いベルベットの座席で同じように揺られながら、クロロはかれこれ30分ほど向かいの席で一言も発さず読書に没頭している。てっきりこちらは眼中にないかと思ったら、フィンクスの餞別のナッツ缶を開けた瞬間「またか」と苦言を呈された。いいだろ別に! 文句を言われようとこれくらいしかやることがない。暇だし。ずいぶん遠くまで来てしまった。なんとなしに雲を眺めながらアーモンドを口に放り込む。合格した後の奢りナッツはことさらおいしい。 「クロロも食べます?」 「いらない」 「そうですか」 予想どおりだけどにべもない。いつものことだ。 「暇だなあ」 「……」 「おいしいなこれ」 「……」 「何この豆光ってる」 「……」 「食べます?」 「いやいらない」 クロロは一瞥もよこさずに「一人で光ってる豆食ってろ」と追い打った。にべもなさすぎる。光ってるんだぞ!?普通見るだろ。ていうか光ってるって何?手のひらの上でよくわからない豆が煌々と輝きを放っている。テカりかと疑ったが光だった。何これ? 「……案外おいしいな」 「食うか普通?」 「お腹すいてるし」 光ってる豆だぞ、とクロロが言うまでもない事実を描写する。空腹なのはさっきの駅で一悶着あってランチが買えなかったせいだ。協会から尾けてきたライセンス狙いの野良ハンターが大勢で飛びかかってきたのを、うまい具合に私に押し付けてクロロだけさっさとカフェへ消えていったのだ。つまり今私の口がダンスホールみたいになってるのはクロロが原因であり、ついでに状況が少し違えばランチを逃して口を光らせるのはクロロの方だったといえる。 「あれだけ近づかれるまで気づかないが悪い」 読み終わった文庫本を閉じ、クロロはやることがなくなったのか退屈そうな顔で足を組み替えた。 「試験の時期は公示されてる。ああいう輩が現れるのは当然だろ」 「言ってくれればいいのに」 「オレはどうしてもあのベーグルが食べたかった」 「私も食べたかったんですけど」 「豆でも食ってろ」 「食ってるよ!」 「あと気づいてないだろうが、残党がこの車両にいるぞ」 「!?」 窓枠に凭れ掛かったクロロは、鈍いなと呆れたように息を吐く。気づかなかった。 「この車両?結構人いるけど…。ど、どいつですか」 「見れば分かる。肩が……」 「肩が?」 「…………光ってる奴だ」 聞こえるか聞こえないかの音量で言い捨てるなりクロロはそっぽを向いた。口元を抑え、微かに身を震わせている。おい!!! 「光らせてんのクロロでしょ!!豆もか!?」 「さっきの……駅で盗んだ。クク……」 早速試してんじゃねーよ!なんだその念能力。クロロは尾行に最適とかノーリスクで発動できるとか一応のそれらしい利点を連ね、あげく普通食うか?とかまだ言っている。おちょくるのに最適の間違いだろ。 「でその光ってる奴どうするんですか?やるの?」 「放っておけよ。どうせ向こうから来る」 そんな奴来たらイヤだよ。少し伸び上がって異常事態を探す私をよそに、クロロは車内販売のワゴンを呼び止め、熱いコーヒーを二つ注文した。見当たらずにきょろきょろしていると、豆を10だとすれば肩は2にしてある、とわけのわからない言葉と共に暖かいカップを手渡される。豆を10にするな。 釈然としないままコーヒーに口をつけると、焦げたような苦味がカシューナッツの塩気に合ってやたらおいしかった。 それからしばらくお互い黙っていたが、車窓の風景が一面に青緑色のオリーブ畑を映した頃、クロロがぽつりと零した。 「……意外と受ける価値があったな、ハンター試験は」 ゆっくりと瞬きして窓枠に頬杖をつく。 「なかなか笑えた」 そう言いながらも横顔はすっと冷めた、いつもの淡白な表情だ。でも不思議と声色にだけまださっきこの人が不意にみせた緩みのような、内側の体温のようなものが残っているように聞こえた。そうですねと相槌を打とうとして、ん?と引っかかる。いや、クロロを笑わせるために受けたわけじゃないんだけど。 (―――……) よく磨かれたガラスの向こうでは、低く刈られた木々が整然と並び、風が吹くたびに葉がきらきらと揺れている。 まあいっか。 ・ ・ なんでこんなこと思い出したんだろう。ホテルの硬い窓をほんの少し開けて夜風に当たりながら、ラウンジで買った薄いビールを煽った。眼下に広がる真夜中のヨークシンは昨晩と変わらぬ喧騒に包まれている。あれほど表通りにいた黒塗りの車も、旅団を追ってとっくにいなくなっていた。めちゃくちゃだとは知っていたけど、オークション初日から飛ばしすぎだ。 「……そういえばうちにまだあのカツラあったな」 初仕事で命からがら持ち帰ったのに、クロロが処分の手間を惜しんで置いてったのだ。いらない盗品を置いてくな。あれを地下競売に持ち込んでたら、今夜盗まれて結局クロロのところへ舞い戻ってたんだろうか。くだらないアイデアがよぎって、本当にそれどころじゃない状況なのに、ふっと声が出てしまった。 もしそうなったらクロロも笑うかな。たぶん、ちょっとだけ笑うだろうな。 ああ見えて20241228 |